隙間

その日も講義があったので、急いで支度をして、おそらく今朝、大家さんに貼られたであろう玄関ドアの「夜は静かに!」の張り紙を引きちぎり、クシャクシャに丸めてポストに入れて、大学へ向かいました。

大学に着いた頃にはもう昼の12時を回っていたので、まずは何か食べようと思い学食に向かうと、昨日、うちで一緒に飲んだ友人が昼食を取っていました。

「なんだよ、お前ら出てったの、全然気付かんかったわ。」

すると、その友人の一人が、申し訳なさそうに下を向いたまま、ポツリとつぶやきました。

「いや、その・・・一緒に朝までいるつもりだったんだけどな・・・」

その言葉を遮るように、もう一人の友人が

「お前、あのアパートでよく寝れるな。」

というので、詳しく話を聞くと、押し入れの隙間から、ものすごく冷たい隙間風が出てきて、あまりの寒さに耐え切れず、一睡もしないで始発を待って帰ってしまったらしいのです。

季節はまだ10月の半ばでした。

それから2週間ほど経ったある日、アパートでの飲み会の時、一人で部屋にも入らず先に帰ってしまった友人に、久しぶりに会いました。

私に気づいた彼は、胸元まで軽く手を上げて、ばつが悪そうな表情で私を見ていました。

「よう、久しぶり。こないだ、あの後盛り上がっちゃって、大家にうるさいって張り紙されちゃったよ。お前、なんで帰っちゃったんだよ。」

すると、彼は「う・・・ん・・・」と言ったっきり、しばらく沈黙した後、重そうに口を開きました。

「正夫、お前、俺の言うこと、信じる?」

神妙な口ぶりに、少し嫌な予感がしましたが、あえて軽い感じで「おう、信じるよ。」と答えると、彼はゆっくりと話し始めました。

「俺さあ、なんつうか、霊感みたいなのがあってさ、その・・・見えるんだよ。霊が。」

衝撃のカミングアウトでした。

自分の身近にそんな人がいるとは・・・彼の話が続きました。

「お前んち、部屋に押し入れあるだろ? その前で、時々つまづいたり、転んだりしたことないか?」

その通りでした。私は返事をしませんでしたが、彼の話を聞きながら、全身に鳥肌が立つのを感じていました。

「そこにさ、いるんだよ。白装束の黒髪の女が、押し入れに向かって、正座して、押し入れの奥をこう・・・指差してるんだよ。その女がいるから、そこでつまづくんだよ。それでさ、押し入れの襖、ちゃんと閉まらないだろ? その女の指が挟まってるから、ちょうど指一本分、閉まらないんだよ。」

聞き終わった時、私の中で全てが繋がりました。

大根を並べたようなシミは、その女が正座している足の跡で、襖の隙間は、まさしくその女の指一本分だったのです。

私は自分の声が震えているのがわかりましたが、できるだけそれを悟られまいと、あえて明るい口調で彼に聞いてみました。

「・・・そ・・・そのさぁ、女?は、一体何が言いたいの? 正座して指差して・・・どうして欲しいわけ?」

「多分その女、押し入れの奥に何かあるって訴えてるんだと思うよ。」

そう言い終わると、彼は席を立って、足早に去って行きました。

「マジか・・・」

困ったのはその後のことです。

ヒトは不思議な生き物で、今まで普通に暮らしていた自分の部屋が、他人の話一つで、まるで心霊スポットにでもなったような感覚に陥るのです。

アパートに向かう足取りは鉛のように重く、とても一人で部屋に入る気にはなれませんでしたが、かといって今すぐ部屋に呼べる友人もいません。

それに、仮に今日、誰かの家に泊まったとしても、問題の解決に全く繋がらないことは明らかでした。