岐阜県 塚本俊治さん(40代・会社員)の恐怖体験談
もう20年以上前になります。就職活動をしていた頃の話です。
今よりもずっと早い時期から動き出す、そんな就活シーズンでした。大学三年の冬、私は大手メーカーの本社に足を運んでいました。書類選考と筆記試験、その両方を通過しての一次面接です。今思えば、あれは奇跡に近いことでした。
バブルはとっくに弾けていて、世間はいわゆる就職氷河期の入り口に立っていました。中堅とも呼べない大学で、成績も中の中。そんな私が大手企業の一次面接まで進めたのですから、我ながらよくやったと思います。
ちなみにこの会社、明治の時代から続く老舗でした。面接会場のロビーには、そういう歴史を感じさせる重厚な空気が漂っていたのを覚えています。
その会場で、思いがけない顔に出くわしました。高校時代の同級生、Y君です。
Y君は昔から成績優秀、スポーツも万能。卒業後は一流大学に進んだ、いわゆる「できる」男でした。ただし本人もそれをよく分かっていて、昔から少し”俺様”なところがありました。周りから煙たがられることもありましたが、当の本人はそれに気づく様子もなく。
久しぶりに会ったY君は、あの頃のままでした。自信たっぷりに、まるでもう内定でも決まったかのような口ぶりで話しかけてきます。
面接が始まる前、Y君に誘われて一緒にトイレに向かいました。
用を足し、洗面台で手を洗っていると、水音の合間に、Y君がクスクスと笑い出しました。肩を小突きながら、いかにも愉快そうな顔をして。
「おい、見ろよ。あんな仕事、よくやってられるよな。俺だったら気持ち悪くてメシも食えなくなる」
鏡越しに、Y君がアゴでしゃくった先を見ます。
年配の女性が、黙々とトイレを掃除していました。
いくらなんでも、それは言い過ぎです。さすがの私も、ちょっとカチンときました。ひとこと言ってやろうか——そう思った、その瞬間でした。
鏡の隅に、誰かが立っていました。
きっちりとスーツを着込んだ、姿勢のいい老紳士です。眉間に深いしわを寄せ、Y君の方をじっと睨みつけています。
音が消えたような気がしました。
(まさか、面接官……?)
血の気が引きました。恐る恐る、後ろを振り返ります。
誰もいません。清掃係の女性が、黙々と手を動かしているだけです。
もう一度、正面の鏡を見ました。
さっきの老紳士が立っていたはずの場所には、開いたままの個室のドアが映っているだけでした。
見間違いか。そう自分に言い聞かせました。
けれど、おかしいのです。見間違いにしては、あまりにもはっきりと覚えていました。白髪の目立つオールバック。ぎょろりとした大きな目。きれいに整えられた白いひげ。ピンストライプの、仕立てのよさそうなスーツ。まるで絵に描けそうなくらい、細部まで焼きついていたのです。
そうこう考えているうちに、Y君はさっさとトイレを出て行ってしまいました。結局、注意するタイミングを逃し、私はモヤモヤした気持ちを抱えたまま、面接会場へ向かうことになります。
面接は六人ひと組のグループに分かれ、順番に呼ばれていく形式でした。私はY君と同じ組です。緊張のせいか、順番はあっという間に回ってきました。
面接官に促されて部屋に入り、着席します。目の前には役員と人事担当者が数名。
けれど、私の目が吸い寄せられたのは、その後ろの壁でした。
歴代社長の写真が、ずらりと並んで飾ってあります。
一番左端、白黒の写真。
——さっきの老紳士でした。
容姿も、服装も、そのままです。写真の下には「創業者 ◯◯◯◯」の文字。
先ほど思い出したとおり、この会社の創業は明治初頭です。創業者が生きているはずがありません。
夢でも見ているような気分でした。
質疑がY君の番に回ってきました。あれほど自信満々だった彼が、なぜか受け答えの要領を得ません。しどろもどろで、見ていて気の毒になるほどでした。面接官も、他の学生たちも、失笑を隠せない様子です。
けれど私に、その失態を笑う余裕はありませんでした。ずっと、あの創業者の写真に見られている気がしていたからです。
面接から一ヶ月ほど経ったころ、その会社から内定の電話がありました。誰よりも早い内定でした。形だけの二次面接を受け、私はその年最後の学生生活を満喫し、翌春、希望を胸に入社式に臨みました。
Y君の姿は、入社式にありませんでした。
風の噂では、Y君はその後どこからも内定をもらえなかったそうです。45歳になった今も、アルバイトで生計を立てていると聞きました。
現在、私はその会社の人事部に配属され、面接をする側になりました。
学生が事前に練習してきた、優等生然とした受け答えを、私はあまり重視していません。
面接官であることを伏せて控室をふらついてみたり、あえて自分で飲み物を運んでいったり。そうやって見えてくる、学生たちのふとした態度や振る舞いこそを、選考でいちばん大切にしています。


