千葉県 主婦 田中なみ(36)(仮名)
結婚して間もない頃、主人の父が亡くなったことをきっかけに、主人の母と同居することになりました。
正直、初めは少し不安でしたが、いわゆる嫁と姑の確執もなく、むしろ、早くに実の母を亡くした私の方が、義母のことを本当の母のように慕っていたくらいでした。
それから数年後、私は待望の女の子を授かりました。
娘の「沙希」という名前は義母がつけてくれたもので、私もこの名前の字と響きが気に入っていました。
義母は娘を可愛がり、目の中に入れても痛くないという例え話は本当なんだと思うほど、娘を溺愛しました。
その娘が2歳になったばかりの秋のこと、義母が病気で急逝しました。
義母は亡くなる前、「来年の七五三には、この着物を着せてやってね。」と言って、立派な着物とかんざしを用意してくれていました。
晴れ着姿の娘を見ずに亡くなった義母は、さぞかし残念だったことでしょう。
それからちょうど1年後の、10月のある秋の日でした。
午前中に義母の一周忌の法要を済ませ、その片付けに追われていた時です。
いつもは2階からドスン!バタン!と、お転婆な娘が飛び跳ねて遊ぶ大きな音がするのですが、その日は何故か、シーンと静まり返っていました。
「今日は随分大人しく、静かに遊んでいるな。」
その時私は、少し嫌な予感がしていました。
我が子に限って「一人で大人しく遊ぶ」などということは、決してありません。
そんな時は、必ず何か悪事を働いている時に決まっているのです。
しばらく聞き耳を立てていると、トントントンと階段を降りてくる、娘の足音がしました。
「今日はどんな悪さをしたのかな?」
私はちょっと娘を驚かせてやろうと思いました。
階段の脇に身を潜め、娘が驚いて階段を踏み外さないように、最後の段を降り切るタイミングを見計らいました。
「ばぁっ!!」
両手を広げて、娘の目の前に躍り出た時、驚いて悲鳴をあげて腰を抜かしたのは、私の方でした。
娘は、来月の七五三で着るはずだった着物をきちんと着つけ、かんざしを刺し、綺麗にお化粧までして階段を降りてきたのです。
娘はまだ3歳です。
Tシャツやズボンでさえ、後ろ前や裏表にして着てしまうのに、着物の着付けなど、できるはずがないのです。
あまりの驚きに、しりもちをついて固まったままの私を、娘はキョトンとした表情で首をかしげ、じっと見つめていました。
「さ・・・沙希ちゃん! ど・・・どうやってお着物着たの?」
すると、娘は当たり前のように、こう言いました。
「おばぁばがしてくれたの。オケチョーもね。」
おばぁばとは、娘だけが使う、義母を呼ぶときの呼び方でした。
ちょうど1ヶ月後は七五三です。
もしかしたら、義母が自分の一周忌に、私に着付けのやり方を教えるために来てくれたのかもしれない思うと、涙が溢れてきました。
その後、主人や、まだ残っていた数人の親戚が、この出来事に騒然とする中、私は着付けの順番を一つ一つ確認しながら、娘の着物を脱がせました。
そのことがあったおかげで、翌月の娘の晴れ舞台には、私が着付けをしてやることができました。
その着物は、娘にとってはもちろん、私にとっても大切な、一生の宝物になりました。