栃木県 会社経営 K.Kさん(38歳・男性)が体験した不思議な話
自分で言うのも何ですが、私は子供の頃から手先が器用で、要領も良く、何でも上手くこなすタイプでした。
それに昔から、頼まれると絶対に「嫌」と言えない性格でした。
そのせいで損な役回りを演じたことも、数え切れないほどあります。
以前勤めていた会社にとって、そんな私は使いやすい存在だったのでしょう。
仕事のできない同僚の分まで押し付けられ、サービス残業の日々。
心も身体も疲れ果てていました。
まさに、器用貧乏の見本みたいな人間でした。
三十歳を過ぎた頃。
そんな会社――いや、自分自身に嫌気が差し、会社を辞めました。
ですが、勢いで辞めたはいいものの、当時は就職氷河期。
しかも秋口の中途半端な時期です。
条件の良い再就職先なんて、そう簡単には見つかりませんでした。
そこで私は考えました。
「何か、自分でできないか」
資格もありません。
学歴もありません。
手に職もありません。
唯一の取り柄は、人より少し器用なことと、妙な正義感だけでした。
悩んだ末に始めたのが――
便利屋でした。
開業資金は、失業保険と少しの退職金だけ。
自宅のパソコンとプリンターで、素人丸出しのチラシを作りました。
便利屋 キヨッピーです!
お困りごとがございましたら、何でもご相談ください!
お見積もり&ご相談は無料です!
どんなことでもお気軽にご相談ください!
横には、ヘンテコな手描きの猫まで描いてありました。
その猫が逆に良かったのか、二週間ほどすると仕事の依頼が来るようになりました。
粗大ゴミ。
庭掃除。
部屋の片付け。
ほとんどが肉体労働でしたが、仕事は思ったより順調でした。
そして開業から三年。
株式会社にするところまで来ました。
ですが、少し調子に乗っていたのでしょう。
面倒な依頼が続いた頃から、チラシの文言を変えました。
「なんでも」
「どんなことでも」
「お気軽に」
そういう言葉を消したんです。
そして――
忘れもしない、開業三年目のクリスマス・イブでした。
三十を過ぎた男の、クリスマス・イブのチラシ配り。
なかなか精神的に堪える仕事です。
その夜。
ビールを二本空け、早めに寝た私は、突然の着信音で飛び起きました。
時間は――
夜十一時四十分。
知らない番号でした。
「こんな時間に……客か?」
布団にくるまったまま電話に出ました。
「お電話ありがとうございます。便利屋キヨッピーで――」
言い終わる前でした。
突然、ものすごい硫黄臭がしたんです。
腐った卵みたいな臭いでした。
思わず咳き込みました。
慌てて咳を飲み込み、言い直しました。
「失礼しました。便利屋キヨッピーです」
ですが――
電話の向こうからは、
「シーーーー……」
という雑音しか聞こえません。
「もしもし?」
「便利屋キヨッピーですが?」
すると。
「……アヤマリタイノ……」
「アヤマリタイ……」
「ゴメンナサイ……」
「オネガイ……テツダッテ……」
若い女性の声でした。
泣いているようにも聞こえました。
私は最初、酔っ払いか外国人かと思いました。
「ご依頼ですか?」
「誰かに謝罪したいということでしょうか?」
「とりあえず、お名前とご住所をお願いします」
不思議なことに、その女性はちゃんと受け答えをしてくれました。
声は弱々しいのですが、会話自体は成立していました。
しばらく事務的なやり取りが続き、電話は終わりました。
そして――
通話が切れた瞬間です。
あの強烈な臭いが、急に消えたんです。
翌朝。
自宅兼事務所のポストに、白い封筒が入っていました。
差出人もありません。
住所もありません。
切手すら貼ってありませんでした。
「昨日の夜、直接来たのか?」
「そもそも、何で自分で送らないんだ?」
今思えば、おかしな点だらけでした。
でも私はそういう性格です。
「引き受けた以上、最後までやる」
そう考えました。
その日の午後。
私は依頼された手紙を持ち、スーツ姿で指定先へ向かいました。
久しぶりのネクタイ姿に、少し気分が上がっていたのを覚えています。
場所は駅から近く、電車とタクシーですぐ着きました。
閑静な住宅街の、大きな一軒家でした。
門扉の前で、依頼された言葉を何度か頭の中で復唱しました。
その時でした。
門の脇で植木鉢に水をやっている年配の女性に気付いたんです。
「マズい……」
「セリフの練習、聞かれたか……?」
恐る恐る声を掛けました。
「ごめんください。橘様でございますか?」
女性は少し驚いた顔をしてから、上品な口調で答えました。
「はい。左様でございますが」
私は昨夜の依頼内容を説明し、言われた通り謝罪の言葉を伝えました。
すると女性は――
突然、大粒の涙を流し始めたんです。
何度も頷きながら、最後まで静かに聞いていました。
「それでは、依頼主様からのお手紙です」
私が封筒を渡すと、女性は深く頭を下げました。
そして、その場で封を開けました。
手紙を読み始めた女性は、鼻と口元を押さえたまま、しばらく泣き続けていました。
しばらくして、女性は言いました。
「どうぞ、お茶でも」
何となく帰るタイミングを失っていた私は、お言葉に甘えることにしました。
通されたリビングは、まるで別世界でした。
ソファは身体が沈み込むほど柔らかく、部屋には上品なお香のような香りが漂っていました。
そして私は気付きました。
真正面のモダンな仏壇に、位牌と二枚の写真が置かれていたんです。
おそらくご主人。
そして、その隣には若い女性の写真。
私は慌てて視線を逸らしました。
その時。
お茶を持って戻ってきた女性が、静かに言いました。
「昨日ね……あなたにお仕事をお願いしたのは……」
「あの子なんですよ」
その時、私は気付きました。
わざわざ私を仏壇の真正面へ座らせた意味に。
その後、女性は少しずつ話してくれました。
二年前。
一人娘が、両親の反対を押し切って男と駆け落ちしたこと。
同棲して結婚したものの、半年ほどで男が突然いなくなったこと。
その半年後――
娘さんは住んでいたアパートで、浴室に目張りをして、硫化水素自殺をしたこと。
そして亡くなった時刻は――
ちょうど一年前のクリスマス・イブ。
夜十一時四十分。
私の携帯が鳴った時間と、まったく同じでした。
さらに。
自殺が原因で借り手がつかなくなり、そのアパートは取り壊しが決まっていたこと。
そして最後に――
私が届けたあの手紙は、謝罪文ではなかったんです。
未発見だった遺書だったんです。
聞き終わった瞬間。
私の中で、全部が繋がりました。
それは私が独立して二年目の、クリスマス・イブでした。
私は、ひときわ古びたアパートを見つけました。
集合ポストがない建物だったので、各部屋のドアポストへ直接チラシを入れて回ったんです。
あの――
ヘンテコな猫のチラシを。
私がチラシを投函した数時間後。
まさにその部屋で、その女性は命を絶っていたのでした。
もし。
死を覚悟しながらも、最後まで彼からの連絡を待っていたその女性が――
クリスマス・イブの夜。
ポストの「パタン」という音に、一縷の望みを託していたとしたら。
そして開けた先に入っていたものが――
「お困りごとがございましたら、何でもご相談ください!」
「どんなことでもお気軽にご相談ください!」
そんな私のチラシだったとしたら……。
私は、とても罪なことをしてしまったのかもしれない。
そう思った瞬間、胸がいっぱいになりました。
気付けば自然に涙が出ていました。
帰る時でした。
女性が優しく言いました。
「ところで、お代はいくらかしら?」
私は戸惑いました。
「いや……でも……」
すると女性は微笑みながら言いました。
「いいのよ」
「あなたは娘のお願いを、ちゃんと最後まで聞いてくれたんだもの」
「それに、あの子には切手を買うお金も無いんですから」
私は少しだけ安くして代金を頂き、その家を後にしました。
数日後。
私は、女性が亡くなったアパートへ向かいました。
すでに解体工事用のテントが張られていました。
花束を持って、女性の部屋へ入りました。
部屋は綺麗に清掃され、何もありませんでした。
……何もないはずでした。
でも。
キッチンの隅に、ポツンと置かれていたんです。
あのヘンテコな猫のチラシが。
私は確信しました。
あの女性は、あのチラシを見て私に電話をしてくれたんだと。
浴室の前に花束を置き、私は静かに手を合わせました。
その後、私はチラシを元に戻しました。
「なんでも」
「どんなことでも」
「お気軽に」
なぜなら、その言葉こそが私自身だったと気付かされたからです。
ちなみに――
あのアパートのキッチンで見つけた、ヘンテコな猫のチラシは。
今でも大切に保管しています。

