歩いてきた少女

長野県 警備会社経営 八田剛志(47)(仮名)

それはまだ、私が刑事部捜査一課に在籍していた頃の話です。

捜査一課とは殺人、強盗、暴行、傷害、誘拐、性犯罪などの凶悪犯罪の捜査を扱う部署で、日々の捜査は熾烈(しれつ)を極めました。

その捜査一課に在籍していた18年間の中で、私にとって最も不可思議だったこの事件は、20年以上経った今でも、時折夢に見るほど、鮮烈に印象に残る事件でした。

事の始まりは、放置された1台の車からでした。

梅雨明けして間もない、猛烈に暑い夏のある日、山沿いの村の住民から、山道の脇に不審な車が停まっているとの一報を受け、近隣の派出所の巡査が確認に向かいました。

その車は県内から来ており、ナンバーの照会から、3日前に盗まれた盗難車両であることがわかりました。

そこで応援要請を受けた、数人の警察官と消防団が付近を捜索したところ、車からそう遠くない山の急斜面で、瀕死の男性を発見したのです。

救急搬送された男性の身元を確認できるものがないか捜索すると、車内から財布に入った、有効期限切れの免許証が出てきました。

そして最も問題だったのは、その男性が普通の男ではないということでした。


北岡慎一郎(仮名)。事件当時29歳。

男の身元が判明してすぐ、私の在籍する捜査一課に連絡が入りました。

私は刑事たるもの、罪を憎んで人を憎まずということは肝に銘じてきたつもりでしたが、その男だけはどうしても、どう考えても、人として許すことができませんでした。

北岡には未成年の時に1人と、22歳の時に4人、いずれもわいせつ目的で、幼い女の子を連続して誘拐し、連れ去ったマエ(前歴)がありました。

しかもこの男、未成年の時の事件では、少年院で2年の矯正教育を受けたものの、成人後の事件については精神疾患を理由に、わいせつ行為と誘拐について、無罪判決を受けていたのです。

当時、血気盛んだった私は「なぜだ! 被害者が存在するのに罪を負う人間がいない? 絶対にあいつは詐病だ! 心の中で赤い舌を出して笑ってるんだ! 必ずまた被害者が出るぞ!」と必死に訴えましたが、上司からも「ありゃ有罪にはできん。せいぜいヒカンチ(被監置※1)だ。」と諭され、この国の司法制度の未熟さを心から恨みました。

その後の裁判で、北岡の措置入院※2が決まりましたが、わずか3年足らずで退院し、一般社会に野放しにされ、その後、行方が分からなくなっていました。

そんな男が、一人で山の中に入り、山菜採りなど楽しむはずもありません。

奴が山に入る理由はただ一つ、人に見つかってはいけないものを隠すため、それ以外にはありえないのです。

ただ、その理由を聞こうにも、当の本人は意識不明の重体で、とても話ができるような状態ではありませんでした。

北岡の怪我の状態は深刻で、右側頭部の頭蓋骨折のほか、折れた肋骨が右の肺に損傷を与え、右の足首は、何かで削ぎ落とされたように、「く」の字にざっくりとえぐられ、アキレス腱が切断されていました。

そこで私は、北岡の発見当時の着衣や所持品を、一般的な事故などより詳しく調べるため、科警研(科学警察研究所)に送ってもらうよう上司に懇願しました。

その後、科警研の調査結果から、私の予感は的中しました。

北岡の発見当時の着衣から、わずかながら別の人物の血液が検出されたのです。

その頃、別班では、防犯カメラやNシステム※3のデータを使って、北岡の現住所を特定し、行動範囲に、行方不明者がいないかを調べると、車が盗まれた前日から行方が分からなくなっている、当時7歳の女の子がいることも判明しました。

その後、地元警察や消防団も加わって、北岡が倒れていた付近の大規模な山狩りが始まりました。

結果は最悪のものとなりました。

山狩り開始からわずか数時間後のことです。

北岡が倒れていた斜面の真上の山道で、行方不明になっていた少女のものと思われる胴体部分と、その傍らには血液が付着したスコップが発見されたのです。

スコップは、北岡の住むアパートに備え付けの、除雪用のものでした。

「近くに頭部があるかもしれない。」

さらに捜索を続けると、胴体部分の発見現場から、山道を頂上に向かって15分ほど歩いた先の、少し開けた10畳ほどの平らな場所で、埋められていた少女の頭部を発見しました。

あまりに陰惨な現場の光景に、嗚咽し、泣き崩れる捜査関係者もいました。

頭部発見の一報を受け、すぐに現場へと駆けつけた私は、その光景に違和感を覚えました。

発見者の話では、当初、少女の頭部は、上から土や落ち葉を被せられ、完全に埋もれていたのですが、その手前に一部掘り返したような跡と、引き裂かれたポリ袋が目印となり、発見に至ったというのです。

するとそこで、大きな疑問が生じます。

北岡はなぜ、頭部と一緒に埋めた胴体部分を掘り起こし、わざわざポリ袋から出して、山道へと運んだのでしょう。

疑問はむしろ深まっていきました。


数日後、北岡は病院の集中治療室で意識を回復しました。

医師から「短い時間なら」という条件のもと、北岡から話を聞くことができました。

その時の北岡の声はあまりに弱々しく、私は身を乗り出すようにして供述に聞き入っていました。

「俺は自宅アパートの駐車場から、近所の小学生を物色していました。ちょうど低学年の女の子が通ったので、面白いゲームがあるから一緒にやらないかと声をかけ、自分の部屋に連れ込みました。

そこで、いたずらしようとしましたが抵抗され、女の子を縛って監禁するつもりで用意していたロープで、女の子の首を絞め、殺しました。

始めは、遺体をバラバラに切断して、少しずつ捨てようと思いましたが、浴室で首を切断したところで、かなりの重労働だと気付き、それ以上遺体を切断することを諦め、首と胴体部分を、別々にポリ袋に入れました。

遺体は山に埋めてしまえば見つからないと思い、近くの駐車場から車を盗んで、アパートにあったスコップを持って、何度か行ったことがある県境の山に向かいました。

車で行ける限界まで山道を走って、そこからは遺体とスコップを持って、歩いて山を登りました。

頂上に向かって山道をしばらく登ったところで、少し開けた平らな場所を見つけたので、持ってきたスコップで穴を掘って遺体を埋めようとしましたが、スコップの先が平らだったので。深い穴が掘れず、とりあえず遺体が隠れるほどしか埋めることができませんでした。」

ここまでの供述は状況証拠から、私も納得するところでした。

しかし、問題はこれ以降の供述でした。

「胴体は? なぜ胴体だけ持って帰ろうとしたんだ?」

私の問いかけに、北岡の顔色と表情は一変し、恐怖に引きつったものになりました。

「俺は女の子の遺体を埋めた後、その場にスコップを捨てて、元来た山道を下って行きました。

20分くらい歩いた時、落ち葉の上を踏みしめながら歩く、自分とは別の足音に気付きました。

俺はすぐに、近くにあった岩陰に身を潜めて耳を済ますと、その足音は、山道を左右にフラフラと揺れながら、それでも間違いなくこちらに近付いて来ました。

俺は息を潜めてその音をじっと聞いていました。すると、足音に混じり、カラコロ、カラコロっと金属の板を引きずるような音が混じっていました。」

(・・・ス・・・コップだ!)

(誰かがスコップを持って俺を探しているのか?)

(埋めているところを見られたか?)

(見られていたなら仕方がない・・・殺るか・・・)

「覚悟を決めて、近付いて来る足音に耳を澄まし、じっと待っていました。」

(あと10メートル・・・8メートル・・・5メートル・・・3メートル・・・2メートル・・・1メートル・・・今だ!!)

「俺は足音の主に向かって飛び掛かろうと岩陰から飛び出しました。

でも、目の前にいたのは、スコップを引きずりながらフラフラと歩く、首のない少女でした。」

私にはにわかに信じられない供述でしたが、恐怖と後悔に青ざめ、涙を浮かべ、震えながら弱々しい声で話すこの男に、私は初めて一片の人間らしさを感じました。

その後、少女は引きずってきたスコップを両手で持ち直し、踵(きびす)を返して逃げようとした北岡のアキレス腱を削ぐように振り下ろし、北岡はそのまま崖を転がり落ち、気がついた時には病院のベッドの上だったそうです。

そこまで話し終わった後、容体が急変した北岡は、その後病院のベッドで丸2日間、悪夢にうなされながら亡くなりました。

北岡の死に顔は、私も今まで見たことがない程、苦痛と後悔と恐怖で満ち溢れた、恐ろしい表情でした。

それから数日後、被害者少女の司法解剖の結果が出ました。

北岡の供述通り、死因は絞死(絞殺)で、死後、頭部を切断されたことが判明しました。

ただ、やはり不可解だったのは、被害者少女の足の裏に、死後に負ったと思われる、無数の傷が付いていたことと、北岡のアキレス腱を切断したのは、遺体を埋める際に使った除雪用スコップで、そこには北岡を含む数人の大人の指紋に加え、被害者の少女の指紋も付着していたことです。

北岡の不可解な供述は、結果的に私たち警察の手で、科学的に裏付けをすることになってしまいました。


※1:精神病院などで監置を受けなければならない精神異常者。

※2:精神障害により、自傷他害に至る恐れがある場合、 精神保健福祉法により、その患者を都道府県知事(または政令指定都市市長)の権限と責任において強制的に入院させること。原則公費医療であり、自傷他害のおそれがないと認められるまで無期限に継続する。

※3:自動車ナンバー自動読取装置。日本の道路に警察が設置する、走行中の自動車のナンバープレートを自動的に読み取り、手配車両のナンバーと照合するシステム。