静岡県 北川真美さん(20代・大学生)の家族旅行中の体談験
小学6年生の夏休み、家族4人で静岡県内の海水浴場に泊まりがけで行きました。
地元の人しか知らない、ちょっとした穴場です。
夏休みになると、毎年のように家族で通っていた場所で、その日も特に変わったことなんてないはずでした。
その年、珍しく夏休みの宿題をほとんど終わらせていた私は、かなり浮かれていました。
そのせいか、泳ぎが苦手な弟を、半ば強引に浮き輪につかまらせて、沖まで引っ張って行ってしまったんです。
その判断を、後で何度も悔やむことになるとは、このときは思ってもいませんでした。
弟はずっと怖がっていました。
「もう帰りたい」
何度もそう言っていたのを覚えています。
でも私は、ゴーグル越しに見える魚に夢中で、あまり聞いていませんでした。
泳ぎ始めて10分ほど経った頃でしょうか。
弟も少しは慣れてきた……というより、諦めたような顔をしていたので、私は浮き輪から手を離しました。
1〜2メートルほど離れたところを、ひとりで泳ぎ続けます。
そして、とても大きくて綺麗な魚を見つけました。
弟にも見せてやろうと、顔を上げた次の瞬間――
弟が、浮き輪からスポッと抜けて沈んだのです。
慌てて海に顔をつけ、弟を探しました。
幸い水は透き通っていて、少し泳げば手が届く場所に弟はいました。
両手を上に向かって突き上げ、足を必死にバタつかせながら、水面へ上がろうともがいています。
私は左手で浮き輪を掴み、右手で弟の手首を引っ張りました。
そのときです。
ほんの一瞬。
木の枝のように細長く、不気味に伸びた指?のようなものが、弟の足首を、掴んでいました。
「いや……離して!」
声には出せませんでしたが、心の中でそう叫びながら、私は弟を引き上げ、浮き輪につかまらせて、全力で岸へ向かって泳ぎました。
泣きながら海から上がった弟を見て、母がすぐに駆け寄ってきました。
弟の足首には、赤茶色の海藻が何重にも絡まっていて、歩くたびにズルズルと砂の上を引きずられています。
母は忌々しそうに、それをちぎっては捨てていました。
「見間違いだ……あれは海藻だったんだ」
私は自分にそう言い聞かせました。
でも――弟の足首に残っていた擦り傷は、どう見ても、誰かに掴まれた手形にしか見えなかったんです。
その後、私たちは旅館へ戻りました。
泊まった旅館は雰囲気も良く、夕食も豪華でした。
来年から通う中学校の話や、何度も聞かされた姉弟の小さい頃の話で盛り上がって、昼間のことなんて、家族みんなすっかり忘れているようでした。
寝る場所で少し揉めましたが、結局、一番奥に私、その隣に母、父、弟という並びで、川の字になって眠ることになりました。
海水浴や日焼けで疲れたのか、私はすぐに眠りに落ちました。
真夜中ーーだったと思います。足に何かが触れた気がして、目が覚めました。
弟は寝相がとにかく悪いので、きっと私の寝ているところまで転がってきたんだろうと思いました。
目を閉じたまま足を伸ばし、弟を蹴って戻そうとしました。
――でも、何も当たりません。
気のせいかな、と思った、その瞬間でした。
今度ははっきりと、誰かがものすごい力で、私の足首を掴んで引っ張ったのです。
(昼間、海の中で弟の足を掴んでいたヤツだ!)
私はそう直感しました。
恐怖で声も出ないまま、反射的に上半身だけ起こしました。
引っ張られた先には床の間があります。
真っ暗なその奥を、私はじっと見続けました。
でも、誰もいません。
真っ暗な床の間の奥から目を逸らさないまま、母を起こそうと、右手を伸ばしました。
なのに――届かないんです。
母に、触れられない。
ふっと母のほうを見て、私は動けなくなりました。
私は、元いた場所から1メートルほど引きずられていたんです。
さらに慌てて振り返って、信じられないものを見ました。
元の場所で眠っている、自分自身です。
何が起きているのか、まったく分かりませんでした。
でも、ひとつだけ分かることがありました。
これは夢じゃない。
「戻らなきゃ……戻らなきゃ……」
私は四つん這いになって、自分の体へ戻ろうとしました。
すると突然、体がドスンと重くなって――
ズブズブと畳の中へ飲み込まれていく感覚に襲われ、そのまま意識が途切れました。
翌朝、私は何事もなかったように布団の上で目を覚ましました。
そんな話でせっかくの家族旅行に水を刺したくなかったので、そのことは誰にも話せませんでした。
夏休みも終わり、2学期が始まってから、祖母からこんな話を聞きました。
静岡県の一部には、山や海、鉄道などで人が亡くなった場所へ行くと、死神に取り憑かれるという言い伝えがあるそうです。
そこには「死番(しにばん)」というものがあって、亡くなった人は次の死者が出るまで浮かばれない。
そして、たまたま次に来た人へ、順番が回っていく――。
その話を聞いたとき、私はあの日の出来事を思い出さずにはいられませんでした。
あの海水浴場の「死番」は、最初に弟を狙い、次に私を狙ったのでしょうか。
もしそうだとしたら……
それは今もあの海で、次の誰かを待っているのかもしれません。


