東京都 青木秀治さん(50代・自営業)の今だに忘れられない体験談
あの日、僕を呼んだのは、本当にマサアキ君だったのでしょうか。
今から40年以上前、小学3年生だった僕は、まだそのことに気づいていませんでした。
昭和50年代前半のことです。
当時は都内でも、いわゆる「空き地」がそこかしこに点在していて、野球や虫取りなど、子どもたちにとって絶好の遊び場になっていました。
「空き家」も多くて、小学校の高学年から中学生くらいになると、「探検」と称した、今で言う肝試しのような遊びが流行っていました。
そんな空き家の中でも、「オバケの城」と呼ばれる屋敷は、その見た目から別格の存在でした。
立派な門扉の奥に、腰の高さほどの雑草が生い茂る大きな庭。 その向こうに佇む、洋風の大きな2階建て。
小学生の僕らから見れば、まるでお城のような豪邸でした。
低学年のうちは、怖くて近づくことすらはばかられる、異質な存在だったんです。
男子たちの間では、「オレは5年生で中まで入った」とか、「オレは6年生の時、2階まで上がった」とか、そういう自慢が一種のステータスでした。
今考えれば、全部くだらない嘘だったのかもしれません。
それでも、あの頃の僕らにとっては、それこそが勇気の証明だったんです。
ある日、学校からの帰り道、あの「オバケの城」に差しかかった時のことでした。
建物の入口から、同級生のマサアキ君が顔を覗かせて、大声で話しかけてきました。
「明夫くん! 探検しよう!」
まだ下校途中で、ランドセルを背負ったままだった僕は、
「うん! ランドセル置いてくるから、ちょっと待ってて!」
そう言って、家まで走って帰りました。
道すがら、「マサアキ君、半分家の中に入ってたな。勇気あるな」なんて思いながら。
玄関にランドセルを放り投げて、すぐに「オバケの城」へ向かいました。
息を切らせて門の前に着くと、マサアキ君の姿が、どこにも見当たりません。
門には鍵がかかっているので、脇のフェンスの切れ目から体をねじ込みました。
雑草をかき分けて玄関前に立ち、建物に向かって、
「マサアキ君! どこ!?」
大きな声で呼んでみましたが、返事がありません。
「中にいるのかな」
玄関の前まで進んではみたものの、まだ小学3年生です。 一人で中に入る勇気なんて、とてもありませんでした。
「マサアキ君! マサアキ君!」
呼び続けていると――
2階のベランダから、マサアキ君が顔を出しました。
ニコニコしながら、こっちを見ています。
「マサアキ君すげぇ! ひとり? ひとりで2階まで上がったの?」
そう聞いた僕に、マサアキ君は何も答えませんでした。
ただニコニコしながら、右手で、おいでおいでと僕を招いていました。
「マサアキ君が行けたんだから、僕も行ける」
幼いプライドとありったけの勇気を振り絞って、ドアを開け、建物の中へ入りました。
廊下の右側にある階段を、一歩ずつ、ゆっくりと上っていきます。
きしむ階段。
その途中で、僕は突然、あることを思い出しました。
「あれ……マサアキ君……先月……事故で死んだよな……」
急に怖くなって、僕は家まで一目散に逃げ帰りました。
正直、どこをどう通って帰ったのか、ほとんど記憶がありません。
いくら小学3年生とはいえ、マサアキ君が事故で亡くなったことを、なぜあの瞬間まですっかり忘れていたのか。
それも、今もってよくわかりません。
結果として僕は、「3年生でオバケの城の2階まで上がった英雄」として、しばらく崇められることになりました。
実際には、階段の途中で逃げ帰ったんですけどね。
それにしても。
あのニコニコしながら手招きしていたマサアキ君は――
本当に、マサアキ君だったのでしょうか。
それとも、「オバケの城」に巣食う、何か別のものが呼んでいたのでしょうか。


