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てるてる坊主

てるてる坊主

神奈川県 古川ひとみさん(30代・主婦)とその息子さんの体験談

3歳になったばかりの息子は、最近すっかり歩くのが上手になって、近所の公園まで自分の足で歩いて行くのが毎日のお気に入りでした。まっすぐ行けば5分ほどの道のりです。でも、私たちはいつも、少しだけ遠回りをするコースを選んでいました。小さな体で一生懸命歩く息子の後ろをついていくだけの時間も、私にとっては何気ない毎日の楽しみの一つでした。

その道すがら、雰囲気のいいチャペル風の結婚式場があったんです。白い柵に囲まれた庭園はいつも手入れが行き届いていて、花壇には四季折々の花が咲き、通るたびにふわりといい匂いがしました。息子はよく柵越しに背伸びをして花を眺めたがったし、私も、あの前を通るだけでなんだか少し明るい気持ちになれる気がして、二人ともその道が気に入っていました。

ただ、そのお散歩コースが、今のようなものに変わってしまったのには、理由があります。

ある日突然、そのチャペルが閉鎖されてしまったんです。

理由は噂で聞いただけなので、はっきりとは分かりません。どうやらあのチャペルは、某宗教関係の会社が運営していたもので、裏では色々と問題があって、閉鎖に追い込まれたらしいのです。

閉鎖してからしばらくは、正面玄関の鉄扉に太い鎖が巻かれているのが妙に威圧感があるくらいで、それ以外に大きな変化はありませんでした。ですが、庭園を手入れする人がいなくなってからは、あっという間に様子が変わっていきました。あれほど綺麗に整えられていた花壇の花は、一つ、また一つと色を失っていき、白かったはずの柵にも、うっすらと錆が浮き始めます。二ヶ月も経つ頃には、あんなに素敵だったチャペルが、すっかり廃墟のような姿になっていたんです。

「おはな、かれちゃったね・・・」

息子がぽつりと言ったその言葉に、私も少し寂しい気持ちになりました。それでも、これだけ立派な施設です。いずれ誰かが買い取って、また綺麗に整備されるだろうと、その時はまだ呑気に考えていました。

それから数ヶ月が経ち、季節は梅雨に入りました。チャペルの草木は伸び放題になり、廃墟らしさはさらに増していました。

一週間ぶりに晴れた、ある日のことです。息子と、いつものコースで公園に行くことにしました。

久しぶりの外遊びに、息子のテンションは朝から爆上がりです。道すがら目に入るものを、いつもの何倍もおしゃべりしながら歩く息子を見て、また少し言葉が増えたなと、成長を感じて嬉しくなっていました。

しばらく歩いて、例のチャペルの前に差し掛かった時のことです。

息子が急に立ち止まりました。

草むらのようになった庭園の向こうに見える、大きなガラス窓が並んだ壁を指差して、こう言ったんです。

「あ! てるてるぼうじゅ! ウチといっしょだね」

雨が続いていたあの一週間、家の中でよく息子と一緒にてるてる坊主を作って、晴れるようにと毎日祈っていました。作りすぎて、カーテンレールには七つのてるてる坊主がずらりと並んでいたほどです。息子はどうやら、あのチャペルの窓ガラスに、それと同じ光景が見えていると言っているようでした。

でも、私にはどんなに目を凝らしても、てるてる坊主なんて一つも見当たりません。窓ガラスに映るのは、伸びきった雑草と曇り空だけです。そもそも、管理する人もいない廃墟に、そんなものを吊るす人がいるとも思えませんでした。

それでも息子は、何度も窓を指差して言い張ります。

「ほら、あそこ! いっぱい! てるてるぼうじゅ! ホラ!」

指差す先を何度目で追いかけても、私に見えるものは変わりません。それなのに、息子の声はどんどん確信めいたものになっていきます。あまりに繰り返すものだから、私はつい「そうね。いっぱいね」と話を合わせて、その場を離れるようにそのまま公園に向かいました。

その日の公園は、連日の雨のせいで泥だらけでした。遊びは早めに切り上げて、帰りはチャペルの前を通らず、近道で家に帰りました。

帰ってからは、しばらく息子とお絵描きをして過ごしました。クレヨンを握りしめて、いつになく夢中で手を動かしています。

その時、ふと見た息子の絵に、なんとなく胸のあたりがざわつきました。

色合いから見て、チャペルの赤っぽいレンガの建物なんだと思います。その窓に、てるてる坊主らしきものがいくつも並んで描かれていました。ただ、それは私の目には、白いドレスを着た人たちが横一列に並んで首を吊っているようにしか見えなかったんです。丸い頭に、まっすぐ垂れた体。子供の描く絵にしては、妙に整った並び方をしていました。

「てるてるぼーじゅー てるぼーじゅー あーちたてんちにちておくれー」

息子は屈託なく鼻歌まじりで、お絵描きに夢中でした。その横で、私の中の違和感だけが、しばらく消えませんでした。

その日の夜のことです。

夕食を終えて、息子と並んでテレビを見ていました。何気なく点けていたバラエティ番組の合間に、ウエディングドレスのファッションショーの映像が流れました。ヴェールを被ったモデルさんたちが、横一列に並んでゆっくりと歩いてくる映像です。

それを見た瞬間、隣にいた息子がぱっと立ち上がりました。そのままテレビを指差して、叫んだんです。

「これ! てるてるぼうじゅ! コレ!」

一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。でも、次の瞬間、頭の中で今日一日の出来事が一気につながりました。

カーテンレールに並んだ七つのてるてる坊主。チャペルの窓を指差した息子。あの絵に描かれた、白いドレスを着て並ぶ人影。そして今、目の前で横一列に並んで歩くウエディングドレスのモデルたち。ばらばらに見えていたものが、頭の中で一本の線につながっていきます。

どうやらあの時、息子の目には、ヴェールとウエディングドレスを身にまとった大勢の花嫁さんが、てるてる坊主のように首を吊った状態で、窓辺にずらりと並んでぶら下がっている様子が見えていたようなのです。

「てるてるぼうじゅ・・・みんな怒ってたね・・・」

寂しそうにひとりごちた息子の言葉を聞いて、私は息子が見ていたであろう光景を、いやでも鮮明に想像してしまいました。ヴェール越しに透けて見える、怒りとも怨みともつかない表情。それが、窓辺にずらりと並んでいたのだとしたら。

結婚式は人生でいちばん華やかな瞬間の一つです。でも、必ずしも幸せにたどり着けなかった人だって、きっと少なくないはずです。元々宗教絡みだったというあのチャペルで、実際に何があったのかは分かりません。それでも、様々な思いが行き場のないまま、あの寂れた建物の中に渦巻いていたのかもしれない。そんな気がしてなりませんでした。

その夜、息子が寝静まってから、カーテンレールのてるてる坊主は、全部処分しました。

それからしばらくは、あのチャペルの前を通ることを避けていました。お気に入りだった散歩コースは、遠回りをしない、まっすぐな道に変わりました。息子も、それきりあの場所について何かを言うことはありませんでした。結局買い手はつかなかったようで、やがて建物は取り壊され、跡地にはマンションが建ちました。今ではもう、あの白い柵も、伸び放題だった庭園も、影も形もありません。

幸せに辿り着くまでには、それぞれに紆余曲折があって、必ずしも手に入れられるとは限らない。あの日のことを思い出すたびに、そんなことを考えてしまいます。

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