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床の記憶

そっとドアを開けて部屋の中を覗いてきたのは、Aさんでした。

「今・・・始まりました・・・聞こえてます・・・」

何故か小声で話すAさんに、ちょっと面白さも感じましたが、そういう風に言われると私も何故か、それが「逃げてしまう」ような気がして、抜き足差し足で、そ~っと隣の寝室へ向かいました。

部屋に入ると、確かに何かを引っ掻くような、カリカリと言う音が響いています。

「聞こえるでしょう? 多分、この音、床から出てるんですよ」

そう言われて私は、床に耳を当ててみました。

確かにカリカリと言う音が大きく聞こえます。

しかも、その音源は、部屋の隅から隅へ真っ直ぐ移動して、端まで行くとまた真っ直ぐ戻ってきてを繰り返しているようでした。

私の知っている「家鳴り」とは違って、「真っ直ぐ行って帰って」と言うことは、虫や動物ではない、何か「意思」のようなものを感じ、少しゾッとしました。

その時、私はこの部屋の真下が、リビングであることに気付きました。

「もしかしたら、『寝室の床』からじゃなくて、『リビングの天井』から出ている音かもしれない」

リビングの天井は、あの古民家の床から持ってきた板を貼った部分です。

抜き足差し足、そ~っと階段を降り、リビングの天井を見たその瞬間でした。

私は驚きのあまり腰を抜かし、力なく階段に座り込んでしまいました。

私が見たそれは、逆さまになって四つん這いで天井を這う、女の姿でした。

その女は昔の着物を着て、頭に手ぬぐいを巻き、脇に抱えたザルのような入れ物に、何かをつまんで入れています。

よく見ると、爪でカリカリ・・・カリカリ・・・っと板と板の継ぎ目を掻いて、出てきた米粒のようなものを、嬉しそうにつまんではフッと息を吹きかけ、脇に抱えた入れ物に入れ、また真剣な表情に戻ると、板の隙間を爪でカリカリ・・・ と掻いていくのです。

彼女はどれほどの時間、この作業に没頭しているのでしょう。

爪は割れ、指先は真っ赤な血で染まっていました。

私はそれまで、幽霊などの存在は全く信じていませんでしたし、万が一存在するとしても、うっすら透けて見えるものだと思っていました。

でも、私の目の前にいる「それ」は、完全に物質で、物体で、人間そのものでした。

それが重力を無視して、天井を這っているのです!

恐怖すら忘れてしまった私は、一体どれほどの時間、その光景を見つめていたでしょうか。

リビングの天井を這っていたその女性は、米粒を全て拾い終わったのか、スーッと消えていきました。

それが消えてからもしばらくの間、私は呆然と天井を見続けていましたが、ふと我に返り、後ろを振り向くと、目をまん丸にして固まったままのAさんご夫婦が、私の肩越しに天井を見つめていたことに、私は初めて悲鳴を上げてしまいました。

その後、Aさんご夫婦は、近所で一番大きな神社にお願いして、この家をお祓いしてもらおう、と言ったのですが、私にはなんとなく、この家ではなく、あの古民家の方に原因があるような気がしたので、Aさんご夫婦には少し時間をくださいと言って、翌日、古民家のあった場所に行ってみることにしました。

現地に着くと、あの立派な屋敷は、もう跡形もなく取り壊され、更地になっていました。

そこへたまたま通りかかった、近所に住むと言うお婆さんに、ここにあった屋敷の話を聞いてみました。

そのお婆さんの話によると、この古民家の先々代の姑さんがとても厳しい方で、お嫁さんが誤ってこぼした米粒を、寒い冬の夜、今ほど明かりもなかったであろう薄暗い中で、床に這いつくばらせて、1粒残らず何時間も拾わせ続ける、などといういじめは日常茶飯事で、それに耐えられなくなったお嫁さんは、とうとう屋敷の裏の木で首を吊って亡くなった、と言う話を聞かせてくれました。

後日、神社にお願いをして、古民家があった場所と、お嫁さんが亡くなったと言われる場所でお祓いをしてもらうと、その日の夜から、例のカリカリ音はピタリと止みました。

もしかしたら、そのお嫁さんの怨念のようなものが、建材に染み込んでいたのかも知れませんね。

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床の記憶

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