岐阜県 会社員 Hさん(30代・男性)の九死に一生を得た恐怖の体験談
この話は、2年前の春のことです。
それまで住んでいたマンションが契約更新の時期になったので、更新料を払うくらいなら、気分を変えるために引っ越そうと思いました。
引っ越し先は同じ都内のマンションで、内見でそれほど気に入った訳でのなかったのですが、どうせ2年もすればまた引っ越すことになるのだからと思い、瑣末なことは気にせず引っ越しました。
元々それほど荷物が多かったわけではないので、入居して半日後には、概ね快適に住める状態になり、その日は早目に就寝しました。
ベッドに入ってウトウトし始めた頃、早速最初のお客さんがやって来ました。
金縛りです。
私は幼少の頃から、何度もこの金縛りに遭って来ました。
ちょっとしたストレスが原因だと思うのですが、何かのイベント、例えば運動会やテストがある前日や、特に引っ越しの後などは、必ずと言っていいほど金縛りになっていたので、おそらく今日も来るだろうなと予想していました。
もう何十回となくこの苦しみに苛まれて来ましたから、慣れたものです。
ただ、いつもとちょっと違うことが、1つだけありました。
いつもは金縛りになる前、「あ、来そうだな」という感覚があり、その後身体中がギューっと固まっていくのですが、今回は後ろから頭をガツンと殴られたような衝撃の後、一気に体が動かなくなる感じがしました。
すると、天井から私の上に金属の太い鎖が落ちて来て、あっという間に全身を覆い尽くしたのです。
いつも金縛りになると決まって、目を開けるとお腹の上に見知らぬ老婆が正座していたり、スーツ姿のおじさんが立っていたりすることが多いのですが、鎖で埋め尽くされたのは初めてです。
顔の上も、指先も、ご丁寧に足の指先に至るまで、鎖でビッシリと隙間なく埋め尽くされたので、目を開けることはおろか、指先さえ1ミリも動かすことができません。
私は金縛りから解放される儀式として、いつも手足の指先を少し動かすことをきっかけにして、少しずつ動かせる部位を増やし、最終的に全身の自由を取り戻す方法を取っていました。
ところが、今回はどこも動かせる部分がないので、全身を重い鎖で押さえつけられたまま、苦しみに耐え続けていました。
「うーん。今日のはまた一段と苦しいな・・・」
しばらくすると、ドアチャイムが鳴りました。
「明日、帰ったら受け取れるように」と、一番遅い時間帯に指定していた宅配便かも知れません。
もう一度ドアチャイムの音がした後は、しばらく静寂が続きました。
それからどのくらい時間が経ったのか分かりませんが、分厚く積もった鎖のすぐそばで、誰かが話している声が聞こえました。
「どうする。連れて上がるか」
「そうよのう。それでよかろう」
その声は重厚で野太く、それでいて柔らかく、イメージとしては人間同士の会話というよりは、まるで別世界に住む神々の話し合いのような印象でした。
するとその会話を遮るように、聞き覚えのある女性の声がしました。
「この子はまだ34です。何とかなりませんでしょうか」
その声は、私が幼い頃に亡くなった母の声に違いありませんでした。
それからかなり長い間、同じ内容を繰り返すだけの押し問答が延々と続いたのですが、いつも通る新聞屋さんのバイクの音がした瞬間、一気にその気配が部屋の中から消失しました。
しかしそれでも、私の上に小山のように覆い被さっている鎖は、消える気配すら感じられません。
またしばらくすると、テーブルの上に置いてあるはずの携帯電話の音がしました。
私は心の中で(あ、仕事!どうなるんだろう)と不安になりました。
その後も時々まどろんでは、携帯の音で意識が戻ってを、数回繰り返しました。
それからしばらくすると、またドアチャイムが、今度は連続して何度もけたたましく鳴らされたかと思うと、数人の人がドヤドヤと室内に上がり込んでくる音がしたところで、私の記憶と意識はプツンと途切れました。
次に目覚めたのは、病院の集中治療室でした。
あの時ドヤドヤと入って来たのは私の会社の上司と同僚で、何度電話しても出ないことを不審に思い、マンションの管理人さんに事情を説明して、鍵を開けてもらったのだそうです。
どうやらあの時、私は金縛りではなく、くも膜下出血を発症していたらしく、上司と同僚のおかげで九死に一生を得ました。
一般病棟に移った時、なぜかベッドサイドに、持って来た覚えのない母の遺影が置いてありました。
そのことを看護師さんに尋ねると、意識がない状態で病院に担ぎ込まれた時、私はなぜか胸に母の遺影を大事そうに持って、離さなかったのだそうです。
やはりあの時の押し問答は、母の声だったのでしょうか。