群馬県 会社員 Mさん(20代・女性)の不思議な体験談
幼い頃から同居していた祖母が、病気で入院することになったのは、私が高校2年生になった春のことでした。
うちは代々農家で、両親はいつも忙しく働いていましたので、祖母は私の母に代わって、私を幼い時から大切に育ててくれました。
その祖母が突然入院になり、もう先があまり長くないと両親に聞かされ、私はパニックになったことを今でも鮮明に覚えています。
それ以来、休日と部活のない日は、できるだけ祖母のお見舞いに行く生活が始まりました。
私がお見舞いに行くと、祖母はいつも元気な様子で、本当にそんな大病を患っているのだろうかと疑うほどでしたが、今考えれば私がいる時だけはと、無理をさせてしまっていたのかも知れません。
学校から病院までは、自宅から学校までとほぼ同じ距離で、自転車で30分ほどかかります。
ただ、病院があるのは自宅とは反対方向で、お見舞いに行った時は、帰るのに1時間以上かかるので、祖母はいつも心配してくれました。
祖母が入院して2ヶ月ほど経ったある日のことです。
その日は部活があり、祖母のお見舞いに行けませんでした。
学校を出て右に進むと自宅で、左に進めば病院です。
自宅に向かって走って行くと、畑に挟まれた1本道がしばらく続き、その正面には2つの山が重なって描かれる稜線があり、夕方になるとオレンジの空と深緑の山とのコントラストがとても綺麗です。
「おばあちゃん、どうしてるかな・・・」
帰りの道すがら、大好きな景色が祖母と重なり、綺麗であればあるほど胸が締め付けられて、涙が溢れて来ます。
涙で滲む道を進むと、いつもの右カーブに差し掛かったところで、自転車のライトに照らされ、真っ直ぐに山に向かって伸びる、見たこともない道があることに気付きました。
「あれ?こんな所にこんな道、あったかな?」
不思議に感じたものの、私はその真っ直ぐ伸びる道の方へ、どうしても進まなければいけないような気がしました。
見たこともないその道は、見たこともない山に向かって、鬱蒼とした木々の間を貫くように伸びていました。
たぶん、5分ほど走った頃だったでしょうか。
あれほど生い茂っていた木々の中から、まるで吐き出されるようにポンっと出た先は、祖母が入院している病院の駐車場で、正面の山があった場所には、病院の建物がありました。
不思議な気持ちになりながら、なんとなく祖母に会わなければいけないような気がして、自転車を止めて病室に向かうと、何人かの親戚が、深刻な面持ちで祖母の病室の前に立っていました。
「あーっ!美鈴ちゃん!間に合った!よかった!」
「早く!早く!!」
促されるままに病室に入ると、両親と姉が泣き腫らした顔で祖母のベッドを囲んでいます。
「おばあちゃん!美鈴も来たよ!」
私は祖母の元に駆け寄り、縋って声をかけると、それから間も無くして、祖母は息を引き取りました。
後になってその時の話を聞くと、祖母の容体が急変したと病院から連絡があり、すぐに病院に向かうようにと私の学校に連絡したものの、すでに私は学校を出た後だったそうです。
当時、携帯は持っていたのですが、学校に持ってくることは禁止だったので、その時は連絡を取りようがない状況でした。
あの時、あの真っ直ぐな道がなかったら、私はきっと祖母を看取ることができなかったはずです。
それにしても一体私は、どこをどう通って病院に行ったのか。今でも不思議で仕方ありません。
その後、何度あの場所を通っても、あの真っ直ぐな道が現れることはありませんでした。
あの時の話は法事で親戚が集まる度に、今でも語り継がれています。