沖縄県 無職 大城 優子(29)(仮名)
この話をあまり詳しく話すと、話した人はもちろん、聞いた人にも障(さわ)りがあると言うので、ざっくりとお話します。
私が住んでいた島の小中学校は、全校生徒を合わせても15名ほどの、小さくてのどかな学校でした。
当時、私と同学年の子は6人で、他の学年に比べると、多い方でした。
中学3年生になる少し前、女子のAさんが一人、内地へ引っ越して行ったので、残った同級生は男子が4人と、女子は私1人の全部で5人になりました。
みんなとても仲良しで、まるで家族か兄弟のような存在です。
中学校生活も残り1ヶ月ちょっとに迫ったある日、同級生の男子たちが、何やらヒソヒソと密談していました。
私もその輪に入って話を聞くと、中学校を卒業するにあたって、何か思い出に残るようなことをしようと言う話でした。
そこで挙がったのが「みんなで御嶽(うたき)に行ってみよう」という提案だったのです。
「御嶽(うたき)」とは、そこで祭祀などを行い、限られた日に限られた人だけが特別に入ることを許される、とても神聖な場所で、普通の島民は絶対に入ってはいけない所です。
そこは生活道路から生い茂る草木を掻き分け、獣道を数分歩いた先にある、3畳ほどの小さな洞窟だというウワサでしたが、ほとんどの島民は見たことがありません。
私も小さい頃から両親に、絶対にそこへ入ってはいけないと、キツく言われていました。
私はその提案に、あまり気乗りがしませんでしたが、「最後の思い出」という言葉で断りきれず、その日の夜に待ち合わせる事になりました。
夕飯の後、そっと家を出て行こうと、玄関で音を立てないように靴を履いていた時、背中に強烈な視線を感じました。
恐る恐る振り向くと、廊下の向こうから祖母が私のことを、ジッと睨みつけていました。
祖母は「ユタ」と呼ばれる霊能者です。
私がどこに行き、何をするか、見透かしていたのかも知れません。
私が出て行こうとするのを、強烈な無言の威圧感で制止しました。
翌日、学校に行った時、昨晩待ち合わせの場所に行けなかったことを男子たちに謝り、御嶽がどうだったのか、話を聞きました。
結局、男子4人で御嶽の中まで入ったらしいのですが、みんなどうも様子が変で、その時のことはほとんど話してくれませんでした。
それから月日が流れ、中学校を卒業すると、進学で皆、島を出てそれぞれの道へと進んでいきました。
私たちの島では、4年に一度、オリンピックの年に「大会」と呼ばれる同窓会が、島をあげて行われます。
「大会」は、卒業年度も関係なく、同じ小中学校を卒業した人が集まるので、上はオジィ、オバァから、下は私のように卒業したばかりの若者まで、大勢集まります。
久しぶりにみんなに会えるのを楽しみに、1年ぶりに島に帰ったのですが、私と同い年の卒業生は、途中で転校したAさんと私の2人だけでした。
ちょうど、2学年上の仲が良かった先輩が来ていたので、私の同級生の男子たちのことを聞いてみたところ、私はその答えに愕然としました。
4人共、卒業後すぐに、病気や事故で亡くなっていたのです。
その言葉に、私とAさんは一言も発することができず、ただ呆然とするだけでした。
その後、私は高校を卒業し、祖母の後を継いで、ユタになる修行をしています。
ユタになれば年に1度、御嶽に入ることが許されます。
そうなれば彼らが亡くなった理由が、分かる日が来るかも知れません。