気がきく彼女

東京都 大学生 加藤慎二(21)(仮名)

俺には毎年更新し続けている記録があります。それは、『彼女いない歴』です。

岐阜の田舎町から2浪の末、「モテそう」という幻想から東京のミッション系の大学に入り、憧れの一人暮らしと花のキャンパスライフを夢見ていましたが、現実はそう甘くはありませんでした。

入学と同時にスポーツ系のサークルに入ったのですが、そこはいわゆるチャラ系のサークルで、金曜になるとほぼ隔週で合コンが開催されました。

元来、女性が苦手というわけではないのですが、この金曜の恒例行事は、全くモテない俺にとって、単なる苦役でしかありません。

当時、学費と生活費は、共働きの両親が苦労してなんとか工面してくれましたが、さすがに遊興費までは無心できず、週末の飲食店でのアルバイト代も、ほとんど合コンで消えてしまうような生活が丸1年ほど続いていて、そんな生活に疑問を感じていた頃でした。

新学期を迎え、春の憂鬱な金曜日のことでした。

その日の合コンも、あまり気乗りしなかった俺は、店に入ってすぐ、テーブル左奥の窓際に陣取り、ひっそりと時間が経つのを待つ作戦でした。

「このサークルもそろそろ辞めどきかな?」

はしゃぐ友人を尻目に、そんなことを考えながら、ぼんやりと窓の外を眺めていると、20分ほど遅れて女性陣が合流しました。

すると、その中のひとりが、「ここ、いいですか?」と言って、俺が座っていた場所のさらに奥の、狭い隙間を指差し、立っていたのです。

座ったまま見上げると、胸の前で束ねた黒く長い髪が印象的な、とても清楚な感じの美人でした。

彼女はテーブルと壁との10センチくらいの隙間を通って、俺の左側に回ってきたことになります。

内心「ずいぶん細い子だな。」と感心しながら、「あ、もちろん、どうぞどうぞ。」と、右側にいた友人の体をグイッと押しのけてスペースを作り、そこにその子を座らせました。

俺と壁との隙間に挟まるようにして座っていた彼女は、とても気がきく女性で、俺のお皿が空になるとすぐに食べ物を取り分け、お酒がなくなりそうになるとすぐに飲み物を取ってくれました。

「名前、聞いてなかったよね。俺、マサノブ。佐藤雅信。君は?」

「ユイです。」

「ユイちゃんか。ごめんね。ここ狭くない?」

「あ、全然、大丈夫ですよ。」

そう言う彼女の返事の雰囲気さえも、なんだか可愛く、愛おしく思えました。

その時俺は、きっとこの日のために、たぶんこの娘に出会うために、このサークルに入ったのだと思いました。

いつものお開きが待ち遠しい合コンと違い、今日は時計の方が狂っているのではないかと思うほど、あっという間に時間が過ぎました。

「どうしよう、ここで何とか連絡先とか交換しとかないと・・・」

焦り始めた俺の気持ちを察したのか、やはり彼女は本当に気がききました。

「慎二さん、連絡先、聞いてもいいですか? だめ?」

もう、死んでもいいと思いました。いや、死んだらもう彼女に会えない。むしろ死ぬまで生きたいと思いました。

彼女は今時珍しく、携帯を持っていませんでしたが、そんなことにすら何だか、清楚で可憐な印象を受けました。

俺は彼女に吸い込まれていくような感覚に陥りながら、携帯電話の番号と、聞かれてもいないアパートの住所まで教えてしまいました。

「うわ、ヤバイ・・・クッソカワイイ・・・」

俺の言葉を一生懸命、丁寧に丁寧にメモっている姿は完全に天使でした。俺の魂は、完全にユイちゃんに飲み込まれてしまいました。

合コンがお開きになった時、2階の店から階段を下り、男性陣と女性陣は1階で左右に別れて帰りました。

その時も、女性陣が「バイバイ」とあっさり手を振って一斉に駅に向かって帰って行く中で、ユイちゃんだけは一人その場を動かず、姿が見えなくなるまで、俺たちの、いえ、俺だけの姿を見送ってくれました。

翌朝、私は人生最大のミスを犯したことに気づきました。

ユイちゃんの連絡先を聞いていなかったのです。

「・・・オレ・・・マジ・・・バカか・・・ユイちゃんから連絡来なかったら、もうアウトじゃんか・・・」

その影響からか、私はその日1日、食欲もなく常にぼんやりとしていて、夕方からのバイトも凡ミスの連続でした。

夜9時を過ぎた頃、バイトが終わって帰宅しました。

ミスが多かったせいか、その日はいつもより疲れているような気がしました。

風呂にでも入ろうかと思ったその時です。「ピンポーン」とドアチャイムが鳴りました。

「こんな時間に。宅配便か?」と思い、ドアスコープから確認すると、そこにはスーパーのレジ袋を持った、ユイちゃんが立っていたのです。

半ばパニックに陥った私は、パンツ一丁だったことも忘れ、慌ててドアを開けました。

俺の姿を見たユイちゃんは優しく微笑みながら「少し、外で待ってるね。」と言って、背中を向けました。その時、俺は初めて自分のあられもない姿に気がつきました。

慌てて転がりながらズボンを履き、床に落ちていたシワくちゃのTシャツを着て、とにかく落ちているものの70%くらいを押し入れに突っ込んでから、外で待つユイちゃんを部屋に招き入れました。

「ご・・・ごめんね。なんか、散らかってて・・・(ああ、俺のバカ、なんで今日に限ってこんなに散らかってんだ!)」

「私こそ、急に押しかけちゃって、ごめんなさい。」

ユイちゃんはきちんと頭を下げてから玄関に入り、脱いだ靴をちゃんと揃えてから部屋の中に入ると、当たり前のようにキッチンに立ち、長い黒髪を後ろでキュッと縛り、料理を始めました。

「ご飯、まだですよね? お米、ありますか?」

そこからはもう、まるでドラマか漫画の世界にいるような、至福の時間が流れていきました。俺は床から何センチか浮いていたかもしれません。

ユイちゃんに促され、シャワーを浴びている間、彼女はご飯を作りながら、あっという間に部屋の掃除までしてくれていました。

小さなちゃぶ台の上に、所狭しと出された手料理は、本当にどれも美味しくて、その時俺は心の中で「わが人生に一片の悔いなし!!」と叫んでいました。

夕飯を食べ終わり、キッチンで洗い物をするユイちゃんの後ろ姿をぼんやり眺めていた時、ふと時計に目をやると、いつの間にか11時を回っていました。

「この時間じゃもしかして、泊まっていくつもりか・・・?」

ものすごい期待で色んなところが張り裂けそうでしたが、一生の不覚でした。

美味しい手料理で満腹になった俺は、ユイちゃんの後ろ姿を見ながら、いつの間にか眠ってしまいました。

翌朝、ちゃぶ台に顔を乗せたまま目がさめると、ユイちゃんはもう、帰った後でした。

ふと時計を見ると、昼の12時を少し回っていました。

「やっべ!バイトだ!」

俺は慌ててバイトに向かい、帰ってきたのは夜9時を回っていました。

その日はどういう訳かバイト中も体が重く、昨日は半日以上寝たはずでしたが、どことなく体調がすぐれませんでした。

「変な体勢で寝たからか? 逆に寝すぎかな?」

そう思いながらシャワーを浴び、昨日の幸せな時間を思い出しながらニヤニヤとドライヤーで髪を乾かしていた時、またユイちゃんが大きなレジ袋を持って訪ねて来ました。

俺はもう、天にも昇る気持ちでした。

昨日と同様、至福の時を過ごし、満腹のまま、またいつの間にか眠りにつきました。

翌日も目が覚めたのは昼過ぎでした。

午前中に受講マストの講義があったのですが、もう間に合いません。

仕方がないので、連日の手料理の影響で腹も減っていなかった俺は、昼食もとらず、結局大学へも行きませんでした。

半日ゴロゴロしながら暇を持て余していたその日の夜も、ユイちゃんはいつもの時間に、レジ袋を持って部屋に来ました。

次の日も、そのまた次の日も。毎日毎日、怠惰と至福の時間が流れていきました。

ユイちゃんが初めて私の部屋を訪ねてきた日から、6日目のことです。

その日の昼過ぎ、俺は腹部の激痛とものすごい吐き気で目が覚めました。

今まで経験したことのない、ハラワタがねじれかえるような激痛でした。

かろうじて自分で救急車を呼び、病院で検査をしたところ、『イレウス(腸閉塞)』だと診断されました。

鼻からチューブを入れ、腸の内容物を吸い出す治療を行うと、ゴミやビニール片に混じった、黒く長い髪の毛が、両手に一杯ほど出てきました。

お医者さんには「キミ、一体何食べたの?」と不思議がられましたが、当然、身に覚えなどありませんでした。

救急搬送されたことを聞きつけ、田舎から母親が血相を変えて飛んできましたが、その時にはもう痛みもなく、ベッドで暇を持て余しているような状態でした。

母には仕事があったので、せめて部屋の掃除だけでもという申し出も断り、早々に帰郷してもらいました。

その時、母は俺の身を案じて、「しばらくは首からぶら下げていなさい。」と、地元の神社で買ったお守りを渡してくれました。

お守りの効果もあったのか、治療後の経過も良く、幸い2日ほどで退院できました。

退院の日、アパートに着いたのは夕方4時頃でした。

「そういえば、ユイちゃん、俺がいない間も来てたのかな。心配してるんじゃないかな。」そう思いながらアパートのドアを開けた瞬間、その光景に愕然としました。

部屋の中はゴミが散乱し、まるで廃墟のような状態になっていたのです。

部屋の中だけではありません。キッチンや押し入れ、トイレに浴室、洗濯機の中にまで、ありとあらゆるところに、病院で自分の身体から吸引されて出てきたものと同じ、ゴミと埃にまみれた長い髪の毛が落ちているのです。

それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走りました。

「俺は・・・これを喰って・・・喰わされていたのか・・・?」

俺は拾い集めた髪の毛の塊を見ながら、一番考えたくない結論に辿り着かざるを得ませんでした。

「ユイちゃんが・・・これを・・・俺に?」

片付けが終わった頃、ふと時計を見ると、夜9時を回っていました。

その時、ドアチャイムが鳴りました。

「ユイちゃんだ!」

その瞬間、俺は音がしないようにドアの鍵をかけ、玄関から一番遠い部屋の隅に隠れました。

すると、ピンポンピンポンピンポン!!

激しくドアチャイムを鳴らしたかと思うと次の瞬間、ドンドンドンドンドンドンドン!

ドアが外れてしまいそうなほど、ものすごい力でノックしてきたのです。

俺は目をつむって両手で耳を塞ぎ、祈るようにして彼女がいなくなるのを待っていました。

しばらくしてノックの音が止み、恐る恐る覗き窓から外を見てみると、そこには誰もいませんでした。

ホッとして振り返った瞬間、目の前で髪の毛を逆立て、鬼の形相の彼女が、アパート全体が揺れるような大声で

「ワタシノ カミ タベテヨ!!!」

俺はそのまま朝まで、玄関で気を失って倒れていました。

翌朝、玄関で目が覚めた俺の手には、母からもらったお守りが、しっかりと握られていました。

結局、ユイちゃんが人間だったのか、それとも他のものだったのか、そしてなぜ、俺をあんな目に合わせたのか、未だに分からないまま、今は別のアパートを借りて住んでいます。