想像するだけで背筋が凍りつくようなその光景は、まさに地獄絵図だったでしょう。
火事で母屋を失い、命からがら逃げ出した曽祖父は
「人の血を吸った井戸はもう使えん」
と言って井戸を埋めてしまい、それ以来、二度と使われることはなかったそうです。
実は、空襲被害の甚大さもさることながら、戦争中の大混乱期でもあったため、井戸を埋める際に、落ちた人を全て把握していなかったのではないか・・・ 一部の人は、そのまま埋められてしまったのではないかと言う噂もあったそうですが、正確なことは今となってはもう分かりません。
ただ、一つ確実に分かっていることは、その井戸があった場所こそ、7番駐車場があるその場所だということでした。
それで1つ、私は腑に落ちたことがありました。
7番駐車場だけで繰り返されるいたずらです。
ある被害者は、エンジンをかけようとしてもかからないため、車をレッカーで修理工場まで運び、そこで検査してみると、燃料タンクの中から大量の水が出てきたそうです。
別の被害者は、車の座席が全てビシャビシャに濡れていて、とても運転できるような状態ではないため、悪質ないたずらとして警察に通報しました。
また、時にはタイヤの側面や屋根の上などに、焼け焦げの跡を付けられると言う被害もありましたので
「水はまだしも、火は怖いな」
と思い、その後、父に防犯カメラの設置を勧めたこともありました。
他にも7番駐車場で起きた被害は数知れず、私はその都度「一体誰が、何のために」といぶかしがるのですが、父は防犯カメラを設置することもなく、あっさりと「使用禁止」を決めたのです。
私は我が父ながら随分と悠長な人だなぁと思っていました。
その後、父の話で初めて知ったのですが、実は現在のコインパーキングを始める前、父はそこでアパートを経営していたらしいのです。
ところが、入居者が入っても、特に7番駐車場の真上にあたる部屋は、「カビがひどい」とか「焦げたようなニオイがする」とかで、半年もしないうちに皆んな出て行ってしまい、近所では「誰も居着かないアパート」として噂されるようになったらしいのです。
約2時間ほど続いた父の話は、とにかく井戸のことをとても気にしていて、そこにあまり何かを建てて欲しくないということを、切々と私に説きました。
それから3ヶ月ほど経ったある日、患っていた病気が元で、父はあっけなくこの世を去りました。
その後、会社を引き継いだ私は、父の言い付けを守り、コインパーキングは今でもそのまま営業しています。
もちろん、7番駐車場は、今も使用禁止のままになっています。