出勤後、店の中を掃除していると、部屋を貸してくれたS先輩が声をかけてくれましたが、カーテンを開けたのがバレてはマズイと思い、御札のことは聞けませんでした。
その日も客入りは盛況で、明け方にアフターの先輩方を見送ってから店内を片付け、フラフラのまま帰路につきました。
マンションのエントランスまで、あと少しという所で、ふと昨日ベランダから見た、あの不気味な女のことが脳裏をよぎりました。
私は引き寄せられるように、エントランスへ向かう道の1つ手前で右に曲がり、ベランダ側の道を歩きながら、赤い屋根のアパートを探しました。
少し歩いて、部屋のベランダの真下に差し掛かると、すぐにそのアパートが見つかりました。
近くで見ると、その見た目はまるでお化け屋敷で、とても人が住めるようなものではなく、どこからどう見ても廃屋にしか見えません。
ふと気付くとアパートの横に、取り壊し工事の予告の看板が出ていたので、やはり人は住んでいないようです。
「じゃあ昨日、あの2階の窓からこっちを睨んでた女は、何だったんだ?」
見間違いか・・・ 酒が残っていたのか・・・ そんなことを考えながら、いつの間にか部屋に帰ったのですが、いつも出迎えてくれる、お気に入りの高級スリッパがありません。
「あ、そうか。 ベランダに干しっぱなしだ」
今度はカーテンを開けないように、下からくぐってベランダに出ました。
カラカラに乾いたスリッパを回収して、そのまま部屋に戻ろうとも思ったのですが、何となくあのアパートが・・・ と言うより、あの赤い服を着たボサボサ女が気になり、そっと階下を覗いてみました。
両手で手すりを持って、ゆっくりと顔を上げていくと・・・
地上30階のベランダの外側から、私と同じように両手で手すりを持ったあの女が、私の目の前でこちらを覗き込んでいたのです!
「ひゃーーーーーーーっ!!」
人生初の、女の子のような悲鳴を上げながら部屋の中に転がり込んだ私は、足がもつれて何度もひっくり帰りながら、マンションの外に逃げました。
「もうあの部屋には戻れない・・・ 今日はどっかのサウナか満喫にでも行ってちょっと寝るか・・・」
いつの間にか店の近くをフラフラと歩いていた私は、たまたま通りかかったJ先輩に声をかけられました。
J先輩は私の様子を見て、何かあったのかと心配してくれたので、私は事の一部始終を話しました。
するとJ先輩は深いため息をついた後、S先輩のストーカー被害の事件について、話してくれました。
2年ほど前の事だそうです。
S先輩にハマった女性は当初、普通のOLだったのですが、いわゆる「ホス狂い」になり、S先輩に貢ぐため借金を重ね、風俗で働くようになったと・・・ まぁ、そこまではよくある話です。
その後、そんな仕事の影響か身体を壊し、精神を病んで働けなくなったものの、S先輩のことが忘れられず、とうとうその女性は、S先輩のストーカーになってしまいました。
ところがS先輩は、金を落とさない客には一切興味がなく、会いたい一心で追いかけてくるその女性を、ストーカー行為で訴えました。
判決は『原告(S先輩)の100メートル以内に接近することを禁止する』と言うものでした。
それでも先輩の近くにいたい、できるだけそばで暮らしたいと思った彼女の考えた作戦は、先輩の部屋からちょうど真下に100メートルのアパートを借り、そこに移り住むことだったのです。
その後、そのアパートで倒れ、まだ20代半ばで孤独死した彼女が発見されたのは、死後1ヶ月以上経ってからのことだったそうです。
「良かった… 俺じゃなかった…」
何かの拍子に、あのボサボサ女に取り憑かれていたんじゃないかと心配していた私は、その話を聞いて安心すると同時に、S先輩がずっとNo.1になれない理由が、ちょっとだけ分かったような気がしました。
厳しい世界に耐えられず、私がホストを辞めたのは、それから間も無くのことでした。