千葉県 会社員 Cさん(40代・男性)の恐怖体験談
私、若い頃からサーフィンが趣味で、いつかは海の近くに住みたいと思っていたんです。
そこにちょうどコロナ禍が来まして、会社の仕事も全部リモートになったので、こりゃ今しかない!と思って、憧れだった海の近くに移住したんですよ。
その時はもう、神様がそうしろと言ってくれてるのだと思いましたよ。
こんな言い方、良くないとは思いますけど、コロナのおかげですよね。
今でこそ珍しく無くなったかもしれませんが、その時はリモートで仕事をすることも、ちょっと田舎に移住するなんていうのも、私の会社が一番早かったですし、社内でも私が一番乗りだったと思います。
移住先は、海辺の一軒家で、築10年のとても綺麗な物件でした。
一人暮らしには広過ぎる間取りで、ちょっと贅沢かな、とも思ったんですけど、近所にスーパーもあって買い物にも便利だった上、以前住んでいた東京のマンションより家賃も安かったんです。
そして何より、サーフィンができる海まで徒歩7、8分でしたから、私の理想にぴったりの、最高の条件でしたね。
傾斜地で遮るものもほとんどありませんから、2階のリビングの大きな窓から海を見ると、右手には沖に向かって突き出した岬が見えて、左側は全部海です。
その景色はまるで絵画みたいで、そりゃもう毎日、朝起きるたびにテンション上がりまくりでしたよ。
満月の夜なんか、海面に月が反射して光の道が月に向かって伸びたりなんかして、本当に最高でした。
私はその頃すでに30代後半、いわゆるアラフォーでしたから、流石に毎日とまではいきませんが、天気の良い日は早朝にちょっとSUPしてみたり、週末はサーフィン三昧です。
遅めの青春を謳歌している感じで、充実した毎日でした。
それから1年経ち、2年が過ぎ、
まもなく4年目になろうかという頃、コロナ禍も少し落ち着いてきて、週に3日は東京の本社に出社しろ、ということになっちゃったんです。
すっかり忘れていましたが、通勤ってものすごく体力が要るんですよね。
だから少しずつ海から足が遠のいて、週末なんて昼過ぎまで寝て、東京に住んでいた頃と変わらない、仕事中心の生活に逆戻りです。
それじゃあまた、少々家賃は高くても、東京に住んだ方がいいのかな、と思い始めた頃でした。
ある日会社から帰ると、壁にかけてあった時計が止まってたんですよ。
電池切れかな?と思って、時計の裏の蓋を開けてみたら、そこから錆びた電池と一緒に、バシャっと水が出てきたんです。
量としてはコップに半分くらい。
なんだこりゃ!と思って、手についた水をちょっとだけ、舐めてみたんですよ。そうしたらこれがしょっぱい!
「あーーーーっ!!」
その瞬間、自分でも驚くほど大きな声を発し、全身に怖気が立ちました。
私はこの家に越してから、ちょっと色気付いてSNSなんてやり始めたんです。
だから何かあったらその都度、スマホで写真を撮って、SNSにアップすることが習慣になっていたんです。
1回目は2021年の8月20日。
「時計が!」と題して、こんな記述がありました。
「早いもので、来月で移住して1年。会社から帰ると、壁にかけてあった時計が止まっていた。
電池切れを疑い、裏蓋を開けてみると、バシャっと水が出てきてびっくり!
海のそばは湿気が多いから、こんなこともあるのかな。」
2回目は2022年の8月20日。
「湿気すごい!」というタイトルで、
「会社から帰ってくると、時計が止まっていた!
裏蓋を開けると水が出てきたので、ちょっと舐めてみるとしょっぱい!
他の家電はこんなことないのに、壁にかけてあると湿気を吸いやすいのかな?
そう言えば去年の今頃も、そんなことあったような気がする」
その写真を見た時、ゾッとしました。
両方とも時計が12時37分で止まっていたんです。
そして今日、2023年の8月20日に止まっていた時計の時刻も12時37分。
それに気付いた途端、なんだか急に恐ろしくなって、その日の夜は近所の友人の家に泊まらせてもらいました。
その友人というのは生まれも育ちもこの地元で、サーフィン仲間でもあって、知り合ってからずっと、こっちでお世話になっていたんです。
その夜、呑みながら話しているうちに、その友人から初めて聞いたのが、私の家のリビングから見える、岬にまつわる話でした。
その友人曰く、このあたりの海で亡くなると、海流や風の影響で、遺体は必ずその岬に流れ着くというんです。
数年に1回はそんなことがあるそうで、それは地元でも有名な話らしいのです。
その上、それよりもっとショックだったのは、私の住む家そのものにまつわる話でした。
実は私が引っ越して来る6年前の夏、近くの海水浴場で小学生の男の子が溺れて、その遺体が例の岬の先端に流れ着いたそうです。
そして何より驚いたのが、その少年と家族が当時住んでいたのが、今、私が借りている家だったんです。
なぜそれを教えてくれなかったのかと詰め寄る私に、友人は事もなげに言いました。
「ごめんごめん。でも、それ言ったら気分悪いだろうから、黙ってたんだよ」
友人の話では、その子のお墓がこの近くにあるというので、翌日、早速訪ねて行ったところ、ずいぶんお参りにきていない雰囲気で、花も枯れていました。
そこにちょうど住職さんが通りかかったので、そのお墓について訊ねてみました。
ご住職曰く、毎年命日には家族で墓参りに来ていたのですが、ご主人の仕事の関係で、ここ数年は海外に住んでいるとのこと。
そのため、命日にお参りができないので、お経だけあげて欲しいと連絡があるそうです。
墓石に刻まれた没年月日は平成26年8月20日。
2014年ですから、私が引っ越して来る6年前です。
享年は12歳とあるので、まだ小学生だったでしょう。
時計の針が止まっていた12時37分は、きっとこの子が亡くなった時間に間違いありません。
その話を聞いた時、その子が「僕はちゃんとこの家に帰ってきてるんだよ」と家族に知らせるために、当時住んでいた家の時計を止めに来ていたような気がして、怖いというよりは、ちょっと切ない気持ちになりました。
その後、私は都内に戻り、仕事に追われる毎日を過ごしています。