埼玉県 大学生 木下翔悟(20)(仮名)
小学校1年生から2年生まで、私には大好きな友達がいました。
名前は確か「カツヤ君」で、私は彼を「カッちゃん」と呼び、学校ではもちろん、放課後も近所の公園で待ち合わせをして、暗くなるまで泥んこになって遊ぶ毎日でした。
ところが、3年生になる前の春休み、私の父の転勤で引っ越すことになり、カッちゃんとはそれ以来、一度も合うことはありませんでした。
それから5年の歳月が流れ、中学2年生の冬休みになった時の事です。
夢の中に突然、カッちゃんが出てきました。
今でもハッキリと覚えているほど、とてもリアルな夢でした。
久しぶりに合うカッちゃんは小学2年生の姿のままで、私は14歳の私で、普通に考えれば違和感があるはずなのですが、夢の中のことなので、特に疑問もなく、本当に楽しい時間を過ごしました。
すると翌日も、そのまた翌日も、カッちゃんの夢が続きました。
そこで私は、なんとなく気になって、母親にカッちゃんのことを聞くと、母は「そんな子は知らない」「覚えていない」と、取り付く島もありません。
3年生を前に転校したため、卒業アルバムもないので、それならと思い、2年生の時の遠足の写真を引っ張り出して来たのですが、カッちゃんの写真は1枚もありません。
あれほど仲が良かったので、一緒に写っている写真が絶対にあるはずです。
その後、1、2年生の時の運動会や合唱会などのイベントの写真も探しましたが、カッちゃんが写っている写真は、とうとう1枚も見つかりませんでした。
「おっかしいなぁ・・・カッちゃんの写真、1枚もないなんて・・・」
その時、ガックリと肩を落とす私を見ていた母が、突然ハッと何かを思い出したような表情で、私を見ました。
聞けば、母のお腹に私がいるのと同じ時期に、母の妹、つまり私の叔母も妊娠していたのですが、不運な事故のせいで、流産してしまったそうなのです。
事故に遭う前、叔母は自分と旦那さんの名前から、それぞれ1文字ずつ取って、「男の子だったら『克也』にしようかな」と、嬉しそうに話していたことを、母は思い出したと話してくれました。
今でこそ遠方で暮らす叔母ですが、私が小さい時、叔母の家はウチのすぐ近くだったので、私のことをとても可愛がってくれたのです。
いつも明るい叔母に、そんな悲しい過去があったなんて・・・
私は叔母の心情を思いながら、「カツヤ」「カッちゃん」という名前との不思議なめぐり合わせに、何とも言えない感情が湧き上がるのを覚えました。
それから1週間ほど経ったある日のことです。
学校から帰ると、母が誰かと嬉しそうに、電話で話していました。
その電話の後、いつになく上機嫌の母に、何があったのか聞いてみたところ、十数年間授かることがなかった念願の第一子を、叔母夫婦がようやく授かったという報告だったそうです。
それを聞いて、私は思わず心の中でガッツポーズをしながら叫びました。