千葉県 山本優香さん(30代・主婦)の恐怖体験談
うちの娘には、ちょっと人と違うところがあります。
いわゆる「見える」子です。
気づいたのは、幼稚園に通い始めてすぐの頃でした。
毎日やり取りする連絡帳に、先生からこんな一文があったんです。壁や教室の隅、誰もいない方向に向かって、娘が空想の「お友達」と遊び始める。お歌の時間になっても絵本の時間になっても、なかなかやめてくれなくて、少し困っています、と。
ああ、この子もか。
そう思いました。
実は私自身、子どもの頃に同じようなことがあったんです。周りの大人をずいぶん困らせたようですが、中学に上がる頃には力も消えて、今ではすっかり普通の人です。だから娘にも同じ力があることは、正直そんなに驚きませんでした。
多少困ることがあっても、そのうち消える。それまで様子を見よう。
先生に何か言われても適当に受け流して、私はあまり深刻に捉えていませんでした。
そんなある日の夕方、テレビのニュースで見たんです。うちのすぐ近所に住む、耳の不自由な二十代の女性が、勤め先からの帰り道に行方不明になった、と。
家から目と鼻の先で起きた事件だったことに加えて、写真の女性がとても綺麗な人だったこともあって、妙に印象に残りました。警察は事件・事故、家出の可能性も含めて捜査中とのことでした。
そのニュースを見た、翌朝のことです。
いつも通り主人を送り出し、娘を車に乗せて幼稚園へ向かっていました。後部座席から「バイバーイ」と声が聞こえたので、何気なく聞き返しました。
「どうしたの? 誰か知ってる人いた?」
「おネエちゃんが、白いおうちをゆびさして、こんなことするの」
「白いおうち」というのは、幼稚園までの道すがら通る、マンションのことです。運転中だったので、娘がどんな仕草をしているのかまでは見えませんでした。
その翌日も、またその翌日も、娘は同じ白いマンションの前で、誰かに向かって手を振りました。
私には、誰もいません。
赤信号で車が止まった時、私は今度こそ、と娘の方を振り返りました。
「どうしたの? また知ってる人いた?」
「おネエちゃんが、白いおうちをゆびさして、こんなふうにするの」
娘はそう言いながら、二本の指で、目のあたりを左右に掻くような仕草をしました。
——これは、娘にしか見えていない人だ!ーー
そう確信しました。
学生の頃、私はボランティアで少しだけ手話をかじったことがあります。娘が見せた「二本の指で目を掻く」仕草は、手話で「探して」「調べて」という意味です。
その瞬間、数日前のニュースが頭をよぎりました。耳の不自由な、あの行方不明の女性。
娘が話す服の色や髪型は、ニュースで見た女性の特徴と、一致していました。
娘にしか見えないということは、もうその女性は……
もしそうなら、娘は頼られているんじゃないか。あのマンションのどこかを、探してほしいと訴えているんじゃないか。
そんな気がしてなりませんでした。
でも、大きな問題がありました。
これを、一体誰に、どう伝えればいいのか。
警察に「霊が見える娘が、手話で被害者の女性からあの白いマンションを探してほしいと言われた」なんて、口が裂けても言えません。
それでも、何もしないままにはできませんでした。
娘を幼稚園に送り届けた帰り道、私は気づけばハンドルを切っていました。あの白いマンションの駐車場へ。
車を停め、エントランス周りをあてもなくウロウロする私は、誰がどう見ても不審者です。
そこへ、自転車で巡回中のお巡りさんが通りかかりました。
やっぱり、怪しい人間を見抜く目があるんでしょうね。すぐに私を見つけて、満面の作り笑いで近づいてきました。
「こんにちは。どうかされました?」
さすがプロだなあ、なんて呑気に感心していた、その時です。
私の背後から、三十代半ばくらいの男性が歩いてきて、マンションのエントランスへ向かおうとしていました。
私とお巡りさんが話しているのを見た瞬間、男の顔が、サッと伏せられました。
小走りで中に入ろうとするその動きを、私も、お巡りさんも、見逃しませんでした。
「あ、ちょっとすみません、ご主人。今お帰りですか? 最近この辺で事件がありまして、少しお話を——」
言い終わらないうちに、男は聞こえないふりでエレベーターへ向かいます。
そして、お巡りさんが速足で近づいてくるのを横目で確認した瞬間。
その男性は突然走り出したのです!
そこからはもう、テレビの中の光景でした。無線で応援を呼びながら、お巡りさんが猛然とダッシュ。五分もしないうちに、二人がかりで両脇を抱えられた男が、エントランスまで引きずられるように戻ってきました。
何台ものパトカーが到着し、近所は騒然となりました。
男の部屋に踏み込んだ警察が、行方不明だった女性のご遺体を発見するまで——そこからわずか、30分ほどのことでした。
事件が一件落着した、翌日のことです。
いつも通り娘を送る道すがら、あの白いマンションの前を通りかかると、娘がまた「バイバーイ」と手を振りました。
「あれ? まだお姉さん、こうしてるの?」
ミラー越しに、私は娘に向かって「探して」の手話をしてみせました。
「ううん。今日はちがう。こーふうにしてた」
娘は胸の前で手の甲を横にして、それを右手でちょんと切るように立てる仕草をしました。
「そう、それね。お手々でお話しする『手話』っていうのよ。それは『ありがとう』っていう意味」
「ふーん、そうなんだ。でも、何がありがとうなのかな」
娘は少しはにかみながら、それでも嬉しそうにそう言いました。
あの日、車を白いマンションへ向けたのは間違っていなかった。そう思うと同時に、娘に授かったこの力が、少し誇らしく思えました。
娘を送った帰り道、花屋に寄って、マンションの脇に設けられた献花台にお花を手向け、手を合わせました。
白いマンションの前で、手話で「ありがとう」と伝えてくれたあの女性。
——実はあの時、私にも、見えていたんです。


