愛知県 主婦 Fさん(40代・女性)と息子さんの不思議な体験談
これは、私の息子の臓器移植に関係する話です。
まず初めにお断りしておきますが、未だに子供の臓器移植の症例は少ないので、あえて具体的な病名等は伏せてお話しします。
息子のマサヒトは生まれつき、ある臓器に病気を持っていました。
その上、血液型などの問題で、臓器のドナーが見つかりにくく、小学校に上がる頃にはとうとう長期入院となり、もっぱら病院のベッドの上での生活を強いられていました。
日に日に衰弱していく息子を見て、何もしてやれない自分の不甲斐なさと、何よりも健康に産んであげられなかった罪悪感で、心が押しつぶされそうな毎日でした。
入院して数ヶ月が経った頃、私が見舞いに行くと、いつになくマサヒトが嬉しそうな表情でお絵描きに興じていました。
「マサヒト、今日はご機嫌ね。何か良いことでもあったの?」
すると昨晩の出来事を、興奮気味に教えてくれました。
「昨日の夜ね、アキラ君って言う子が遊びにきてね、いっぱいお話ししたんだ」
嬉しそうに話すマサヒトを見て、私は込み上げる涙を必死に堪えました。
私は毎日、面会可能なギリギリの時間までマサヒトのそばにいます。
その後、夜になってから他の病室の子供が遊びにきておしゃべりに興じるなど、マサヒトの病状や病院のルール上、ありえないことです。
健康な子供なら、それはイマジナリーフレンドとして、子供の想像力の産物だろうと思うところなのでしょうが、私はついにマサヒトの「せん妄」と呼ばれる一種の幻覚が始まってしまったのではないかと思い、心が張り裂けそうになりました。
翌日も、さらにその翌日も、日に日に顔色が悪くなっていくマサヒトは、それでも毎晩遊びにくるアキラ君との夜中のおしゃべりを、嬉々として語り聞かせてくれます。
とても子供の想像とは思えないほど具体的な話の内容を聞けば聞くほど可哀想になってしまい、苦しくなる一方の胸の内を悟られないように振る舞うことで、私は精一杯でした。
チグハグな2人の感情は平行線を辿り、混じり合い理解し合えることなど、もしかしたらこのまま永遠に来ないのではないか、そんなよからぬことさえ脳裏をよぎるほど、当時の私は追い詰められていたのかもしれません。
そんな辛いばかりのある日のこと、いつものようにアキラ君との夜中のおしゃべりに興じる中で、マサヒトが彼からあるものをもらったと言うのです。
マサヒトが言うには、アキラ君はいつになく悲しい表情で、もう遊びに来ることができなくなった、と言われたそうです。
必死に嫌がり、泣きじゃくるマサヒトに、アキラ君は
「その代わりにこれ、マサヒト君にあげるよ」
といって、いつも着ているパジャマのポケットから、白く光る玉を取り出し、両手でマサヒトに差し出してきたと言うのです。
マサヒトが言うには、その玉はアキラ君の手のひらの上で眩しく光り輝き、病室全体を昼間以上に明るく照らしたそうです。
マサヒトはその光の玉を、両の手のひらで大切に受け取り、胸の前でぎゅっと抱きしめると、温かい光が自分の中に入って行き、しばらくの間、胸の部分から光が溢れ出ていたそうです。
その話を聞いた数日後、突然臓器を提供してくれるドナーが見つかったとの知らせが届きました。
そこから移植までの経緯は、検査や手続きなど、あまりの目まぐるしさでほとんど覚えていません。
その後、手術は成功し、マサヒトの生命は、辛うじて繋ぎ止めることができました。
それから半年が過ぎた頃、マサヒトの定期検診の際、どうしても気になった私は、主治医にダメモトで臓器の提供者についての情報を聞いてみました。
先生が教えてくれたのは、提供者の住まいがG県であったと言うことだけです。
その時、私が思い切って「提供者は息子と同い年のアキラ君と言う名前ではないですか?」と聞いた瞬間、先生の顔色が変わりました。
それでも先生は、医師の義務として情報を漏らすわけにはいかないと思ったのでしょう。
「そのことについては何も申し上げることはできませんが、なぜそれを・・・」
と言った瞬間に、「しまった!」と言う顔をして、もうそれ以上は何も答えてくれなくなりました。
ただ、私もマサヒトも、その時全てを確信しました。
マサヒトに臓器を提供してくれたのは、入院中にマサヒトと遊んでくれたアキラ君だと。
そしてアキラ君は、今ここで愛おしそうに胸を撫でているマサヒトの中で、一緒にしっかりと生きているのです。
【後日談】
その後、八方手を尽くし、アキラ君のことを探し当て、ご家族にお会いしてご挨拶をと思ったのですが、残念ながら引っ越しをされたらしく、その後の消息が不明となり、お会いすることは叶いませんでした。