手話の叫び

学生の頃、私はボランティアで少しだけ手話を勉強したことがありました。

娘が私に見せた「2本の指で目を左右に掻くようなしぐさ」は、手話で「探して」とか「調べて」と言う意味です。

その時、私は何日か前にニュースで見た、耳の不自由な女性が失踪した事件のことを、ふいに思い出したのです。

娘が説明してくれたその女性の特徴は、服の色や髪型など、ニュースで見た女性の特徴と一致していました。

もしかして、娘にしか見えないと言うことは、残念ながらすでに亡くなっているその女性が、見える娘を頼り、このマンションの中を探して欲しいと訴えているのではないか。
私にはそんな気がしてなりませんでした。

もしそうだとしたら、1つ大きな問題があります。

そのことを一体誰に、どうやって知らせればよいのでしょうか。

警察に「霊が見える娘に、被害者女性が手話であの白いマンションを探して欲しいと訴えている」とは、とても言えません。

それでも、何もしないで、なかった事にするなんて、私にはどうしてもできませんでした。

娘を幼稚園に送り届けたその帰り道で、私は何かに突き動かされるように、ハンドルを白いマンションの駐車場へと切っていました。

マンション前の駐車場の脇に車を止め、エントランスの周囲をあてもなくウロウロする私は、完全に不審者です。

そこへ偶然、自転車で巡回中のおまわりさんが通りかかりました。

彼らにはきっと、怪しい人間を見抜く目があるのでしょう。
すぐに私を見つけ、「こんにちは。どうかされました?」と満面の作り笑いで近付いてきました。

警察官というのは本当によく訓練されているなぁと、要らぬ感心をしていると、私の背後から、30代半ばくらいの男性が歩いてきて、マンションのエントランスへ向かって行ったその時です。
私とおまわりさんが話しているのを見た瞬間、サッと顔を伏せ、小走りでマンションの中に入ろうとするのを、私も、もちろんそのおまわりさんも、見逃しませんでした。

「あ、ちょっとすみませんご主人。今お帰りですか? ちょっと最近事件がありましてね、お話聞かせていただいても・・・」

おまわりさんが言い終わる前に、その男は、質問が聞こえないふりをして、奥のエレベーターに乗ろうとしたのですが、おまわりさんが速歩きで近付いて来たことを横目でチラッと確認すると、いきなり走って逃げ出そうとしたのです。

そこからはもう、テレビで見るような大捕物です。

無線で応援を呼びながらおまわりさんは猛然とダッシュ!!

5分とかからないうちに、2人の警察官に両脇を抱えられた男が、マンションのエントランスに引きずられるようにして戻ってきました。

その後は何台ものパトカーが到着し、近隣は大変な騒ぎになりました。

その後、その男の家に入ったところ、行方不明だったあの女性のご遺体が発見されるまで、わずか1時間ほどの出来事でした。

事件も一件落着した、その翌日のことです。

いつものように娘を幼稚園に送るため、あの白いマンションの前を通りかかった時、娘がまた「バイバーイ」と手を振りました。

「あれ? まだおネエさん、こうしてる?」

そう言ってミラー越しの娘に向かって、「探して」の手話をすると、娘は

「ううん。今日は違った。こーふうにしてた」

と言いながら、胸の前で横にした手の甲を、右手でちょんと切って顔の前に立てるような仕草をしました。

「そう。それね。お手々でお話する『手話』って言うのよ。それは『ありがとう』っていう意味ね」

そう伝えると娘は「ふーん。そーなんだ。でも何がありがとなのかな?」と、少しはにかみながら、嬉しそうに言いました。

その時、私のとった行動は、間違っていなかったのだと思うと同時に、神様が娘に与えてくださった能力が、少し誇らしく思えました。

娘を送った帰り道、花屋さんに寄って、白いマンションの脇に設けられた献花台に、私もお花を手向け、手を合わせてから帰りました。

白いマンションの前で「ありがとう」と手話でお礼を言ってくれたその女性・・・

実はその時、私にも見えていたのです。

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