東京都 佐藤瑛太さん(40代・自営業)の恐怖体験談
私の家は、曽祖父の代から続く地主です。
そう言うと、いかにも羽振りが良さそうに聞こえるかもしれません。 でも、うちが受け継いできたのは、土地だけではなかったようです。
社長である私の父は、お世辞にも商売が得意な人ではありませんでした。
新しく事業を始めるたびに借金を増やし、それを精算するために、都内にあった土地を少しずつ切り売りしていく。 その繰り返しでした。
結果、最後に残ったのは、自宅の敷地と、少し離れた場所にある120坪ほどの土地――そこで営んでいる、15台分ほどのコインパーキングだけです。
それでも、貧乏だったわけではありません。 私は一人っ子で、ずいぶん甘やかされて育ちましたから、恵まれた家に生まれたと言っていいのだと思います。
大学卒業後は都内の会社に就職し、休みの日は父の会社を手伝いながら、実家で両親と暮らしていました。
私は、父が45歳のときに授かった、いわゆる「遅い子供」でした。 だから私が40になる頃には、父は85歳という高齢になります。
最近、父は大きな病気をしていました。 私に会社や財産をどう受け継がせるか、現実的に考え始めていた時期だったのかもしれません。
ある夜、夕食のあと、父が私をリビングに呼びました。 なんだか、いつもとは違う、かしこまった空気でした。
「瑛太に、話しておかなきゃいかんことがある」
そう切り出した父が、まず口にしたのは、経営しているコインパーキングのことでした。
実はあの駐車場、7番の区画だけ、以前から妙にいたずらの被害が続いていたんです。 何度か警察を呼んだこともありました。
不思議なのは、被害が7番以外の場所ではまったく起きないことでした。 だから数年前から、7番だけ「駐車禁止」の立て札を立てて、誰にも使わせないようにしていたんです。
そもそも、時間貸しの駐車場なんて、多少の節税にはなっても、大した利益にはなりません。 なぜこの土地でマンションやアパート経営をしないのか、私はかねてから疑問に思っていました。
その話も含めて、一度じっくり聞いておきたい。 そう思っていた矢先の、父からの呼び出しでした。
ところが、父が語り始めたのは、私の予想とはまったく違う話でした。
コインパーキングがある、あの土地にまつわる――今から80年以上も前の話です。
戦時中、今の駐車場がある場所には、曽祖父の本家があったそうです。
庭には大きな井戸があって、炊事や洗濯はもちろん、近所の人たちにも自由に使わせていたといいます。 夏の暑い日には、曽祖父は近所の子供たちと一緒に、冷たい井戸水で水浴びをするのが楽しみだったとも聞きました。
そんな穏やかな暮らしを、大きな空襲が襲いました。
焼夷弾の炎で家々が焼かれ、火だるまのまま歩き回る人。 熱さと痛みに悲鳴を上げながら転げ回る人。 子供を胸に抱いたまま、背中に火がついている人――。
炎の壁に囲まれて逃げ場を失った人たちが、水を求めて、曽祖父の家の井戸に殺到したそうです。
そのうち何人もが、押し合いの中で井戸に落ち、あるいは熱さから逃れようと、自ら飛び込んで亡くなった。
想像するだけで、体の奥が冷えていくような光景です。 まさに地獄のような有様だったのでしょう。
母屋を焼かれ、命からがら逃げ出した曽祖父は、こう言って井戸を埋めてしまったそうです。
「人の血を吸った井戸は、もう使えん」
それ以来、その井戸は二度と使われることはありませんでした。
空襲の被害があまりに大きく、しかも戦争中の混乱の中でのことです。 井戸を埋める際、落ちた人を全員把握できていなかったのではないか――一部の人は、そのまま埋められてしまったのではないか、という噂もあったそうです。
真相は、今となってはもうわかりません。
ただ一つ、はっきりしていることがありました。
その井戸があった場所こそ、今の7番駐車場、まさにあの区画だったのです。
それを聞いて、私の中で、あることが腑に落ちました。
7番駐車場だけで、繰り返されていたいたずらのことです。
ある利用者は、エンジンがかからなくなり、車をレッカーで運びました。 修理工場で調べると、燃料タンクの中から、大量の水が出てきたそうです。
別の利用者は、車の座席が全てビシャビシャに濡れていて、とても運転できる状態ではなく、悪質ないたずらとして警察に通報しました。
タイヤの側面や屋根の上に、焼け焦げの跡がついていたこともあったといいます。
「水はまだしも、火は怖いな」
そう思った私は、以前、父に防犯カメラの設置を勧めたことがありました。
でも父は、カメラを付けることもなく、あっさりと「使用禁止」を決めてしまった。 我が父ながら、ずいぶん悠長な人だな、と思っていたんです。
その理由が、ようやくわかりました。
さらに父の話で、私は初めて知ったことがありました。
今のコインパーキングを始める前、父はあの土地でアパートを経営していたそうです。
ところが、入居者が入っても、特に7番区画の真上にあたる部屋だけは、
「カビがひどい」 「焦げたようなニオイがする」
そんな理由で、半年も経たずに皆出て行ってしまう。 近所では、いつしか「誰も居着かないアパート」と噂されるようになったといいます。
その夜の父の話は、2時間ほど続きました。
とにかく、あの井戸のことを気にかけていて、あの場所にはもう何も建てないでほしい。 それだけを、切々と私に説いていました。
それから3ヶ月ほど経ったある日、父は患っていた病気が元で、あっけなく世を去りました。
会社を引き継いだ私は、父の言い付けを守っています。
コインパーキングは、今も変わらず営業中です。
そして7番駐車場は――
今も、使用禁止のままです。


