群馬県 島本洋子さん(40代・主婦)の高校生時代の体談験
私が高校生だった時の話です。
幼い頃に父を亡くした私は、ずっと母と二人で暮らしていました。
でも、寂しいと思ったことは一度もありません。
母とは姉妹のように仲がよく、恋愛や進路のことまで、何でも相談できる関係だったからです。
当時付き合っていた彼氏のことも、母は公認してくれていました。私が呼んでいたのと同じように、母も彼のことを「佑ちゃん」と呼んで、家族みたいに可愛がってくれていたんです。
佑ちゃんは三つ年上で、当時流行っていた改造車に乗っていました。
車高を極端に下げたシャコタン。内装は真っ赤なモフモフのシート。車内は土足厳禁。見た目はかなり派手で、いかにも……という感じの車です。
彼自身も見た目こそイカツイ感じでしたが、中身は真逆。その見た目に反して、すごく気遣いのできる、優しい人でした。
ある日、彼から「例のあの廃病院、行ってみない?」と誘われました。地元で有名な、私の家から車で二時間ほどの場所にある心霊スポットです。
異常なくらい山奥にぽつんと建っていて、
「夜になると患者のうめき声が聞こえる」
「看護師が車椅子を押しながら歩いているのが見える」
そんな噂が絶えない場所でした。
母に正直に行き先を話せば、反対されるのは目に見えていました。
だから私は、母に「海に行ってくる」と嘘をつきました。
昼前、迎えに来てくれた佑ちゃんの車に乗り込み、門限までには必ず帰ると約束してから、私たちは出発しました。
でも、母に嘘をつくのは気が引けたので、「海に行く」と言った以上、本当に一度も寄らないのも申し訳なく、寄り道のようなかたちで、まずは実際に海へ向かいました。
しばらく海辺で過ごして、夕方になり、海水浴のお客さんが帰り始めた頃、改めて廃病院を目指しました。
到着した時には、あたりはすっかり暗くなっていました。
街灯もほとんどなく、車のヘッドライトが頼りなく闇を照らすなか、廃病院の輪郭がぼんやりと浮かび上がります。
ただそこに建っているだけなのに、息が詰まるような重苦しい気配が漂い、車を降りた瞬間から二人とも自然と口数が減っていきました。
入り口を探して敷地内を歩き回りましたが、暗闇の中では建物の形すらはっきりせず、どこから入れるのかもすぐには分かりません。
懐中電灯の明かりに割れた窓や崩れた壁が浮かび上がるたび心臓がドキドキと音を立て、ようやくそれらしき出入り口を見つけました。
扉の前に立つと、中から漂う冷たい空気とかび臭さに一瞬足がすくみましたが、意を決して、恐る恐る足を踏み入れました。
当時はまだ携帯にカメラなんてついていない時代です。使い捨てカメラを片手に、二人でドキドキ――というより、ほとんどイチャイチャしながら廃病院の中を探検しました。
でも結局、これといって怖いことは何も起きないまま、探索は終わってしまいました。
拍子抜けした反動なのか、帰りの車の中で、私はいつも以上によく喋っていました。自分でもちょっとテンション高いなと思うくらいに。
「ねぇ佑ちゃん、この写真、現像して何か変なもの写ってたらどうする?
テレビ局とか連絡しちゃう?
もしかして有名人になっちゃったりして!
これがきっかけでアイドルデビューとかしたらどうしよう……」
一人で盛り上がる私に対して、佑ちゃんの反応はやけに薄いものでした。
途中で事故渋滞に巻き込まれ、家の近くに着いたのは予定より少し遅い時間。
信号待ちで車が止まった、そのときです。
佑ちゃんが、前を見たままボソッと呟きました。
「なんか……車、重いんだよね。ブレーキも……なんか効きにくい……」
冗談だ、と思いました。私を怖がらせようとしているんだろうと。
「改造しすぎなんじゃないですか?」
ちょっと不機嫌に返すと、彼は困ったような顔で言いました。
「いや、だってさ。来るときはガソリンメーターが半目盛りも減ってなかったのに……
帰りは2目盛り近くも減ってるんだよ。
しかも下り坂だったのに……エンジンの調子でも悪いのかな……」
独り言なのか、私に話しかけているのかよく分からなくて、私は何も返しませんでした。
そして結局、帰り着いた時には、門限を少しだけ過ぎてしまいました。
「ねぇ佑ちゃん、門限過ぎてる。お母さんに見つかったら怒られるから、こっそり、できるだけ静かに送ってね。そーっとだよ?」
「おうっ」
短く、彼はそれだけ返しました。
当時住んでいたのは団地の一階でした。エンジン音がよく響くので、いつも佑ちゃんは気を使って静かに送ってくれていたんです。ましてこの日は門限オーバー。彼もいつも以上に慎重に運転していました。
――なのに。
いつもは何ともない場所で。
――ガリガリガリガリガリッ!!――
車の底が、ものすごい音で地面を擦りました。
佑ちゃんも肩をすくめて、慌てた顔になっています。
「うわっ、擦った!? なんでだ……」
私はそのとき、車のことよりも、この音で母に見つかったんじゃないかということばかり気になっていました。
そしてその予感は、当たってしまいました。
団地の1階の出入り口から、母が鬼のような形相で飛び出してきたんです。
あのときの母の顔は、正直、廃病院の何倍も怖かった。今でもはっきり覚えています。
「あんたたち!! 一体何考えてるの!!」
団地中に響き渡るような怒鳴り声でした。私も佑ちゃんも完全に固まってしまって、
「すいません……」
「ごめんなさい……」
そう繰り返すしかできませんでした。
申し訳なさそうに走り去っていく佑ちゃんの車を見送って、私は家に入りました。
お風呂に入って、母の作った夕飯を食べて。でも母は、ずっと無言のままでした。
私は少しイライラして言いました。
「ねぇお母さん。門限破ったのは悪かったけど、たった10分だよ? 帰り道が混んでただけなんだから、もう怒らないでよ」
すると母は、不機嫌そうにこう言ったんです。
「お母さんはね、門限を破ったことを怒ってるんじゃないの!
佑ちゃんも佑ちゃんよ。
あんなに大勢車に乗せて……屋根の上にまで人を乗せて……
もし誰かケガでもしたらどうするの!
あの子たちは一体どこ行ったの!?
お願いだから、危ないことだけはしないでちょうだい!!」
その瞬間、全身が総毛立ちました。
――母が言うには――
車を擦ったあの音を聞いて窓から外を見たら、佑ちゃんの車の、そこら中に大勢の人がしがみついて乗っていたそうなのです。
窓にしがみつき、屋根に跨り、後ろにもぶら下がって。みんな同じ顔で、ニヤニヤ笑っていた、と。
それで慌てて、母は外に飛び出してきたのだと言いました。
「佑ちゃんが言ってた『車が重い』って……本当だったんだ」
いつもは絶対に擦らない場所で、あのとき車体を擦った理由も、そこでようやく分かった気がしました。
それだけの重さが、あの車にはのしかかっていたということなんだと思います。
その後、私たちの身には特に何も起きませんでした。
現像した写真にも、変わったものは何も写っていませんでした。
もしかしたら、あの廃病院から一緒についてきてしまった何かは、母のあの剣幕に驚いて、逃げていってしまったのかもしれません。
ちなみに今、その「佑ちゃん」は私の主人です。
子供にも恵まれて、家族四人、幸せに暮らしています。
母も元気にしていて、今でも時々この話が出ることがあります。
「あの時は二人とも、不良になったかと思ったわよ!」
そう言って、母は懐かしむように笑います。
ただ――
私たち二人は今でも母に、あの廃病院に行ったことを話せずにいます。


