東京都 杉山耕一郎さん(20代・会社員)の恐怖体験談
あれは、大学1年の夏休みのことです。
男友達4人で、伊豆にドライブ旅行に行くことになりました。夜のうちに海水浴場の駐車場で仮眠をとって、翌朝から1日たっぷり海で遊んで帰ってくる。若さゆえの、行き当たりばったりな計画でした。
私は父の車を借りて、バイト終わりの友人3人を拾うため、待ち合わせ場所へと向かいました。
近づくにつれて、妙な胸騒ぎ――というほどのものでもないのですが、とにかく「あれ、様子がおかしいぞ」という感覚がありました。かなり遠くからでも、彼らがそこにいるのがはっきり分かってしまうのです。
一泊二日、しかも仮眠と海水浴だけの旅に、明らかに不釣り合いな、大きく派手なキャリーバッグを引いている男。どこで借りてきたのか、やったこともないくせにサーフボードを小脇に抱えて仁王立ちしている男。
そして極めつきは――あの、シャチでした。
ガソリンスタンドでバイトをしている友人が、そこのエア・コンプレッサーを勝手に借りたのでしょう。すでにパンパンに空気の入った、フルサイズのシャチの浮き輪を、まるで我が子でも抱くように大事そうに抱えて立っていたのです。
車に着くなり、私は思わず叫んでいました。
「なんでもう膨らましてんだよ! 車に入んねぇだろ! 気合い入り過ぎだよ!!」
「お前サーフィンなんかできんのかよ! 聞いたことねぇよ!!」
「何だよこの荷物! 何泊するつもりだよ!!」
車は3列シートのワゴンだったので、最後部のシートを潰し、4人分の着替えとキャリーバッグ、サーフボード、そして特大のシャチを、ワイワイ言い合いながら詰め込みました。出発する頃には、後部座席はもう、ちょっとしたガラクタ倉庫のような有様でした。
走り出してすぐ、ルームミラーがサーフボードとシャチにすっかり塞がれていて、後方がまるで見えないことに気づきました。少し気にはなりましたが、笑い話のひとつとして流し、市内を10分ほど走ってから、静岡方面へ向かう高速道路に乗りました。時刻はもう夜の10時を回っていたと思います。
車内は、たわいもない話で盛り上がっていました。走り始めて、たしか1時間くらい経った頃でしょうか。
意外と車の少ない走行車線を、私は一定のペースで走っていました。そのうち、後ろの車の様子がおかしいことに気づきました。
ものすごい勢いでパッシングをしてくる。蛇行しながらクラクションを鳴らしてくる。
自分の運転を振り返っても、そんなことをされる心当たりは、まったくありませんでした。
「今流行のあおり運転か・・・本当にいるんだな・・・」
そんなことを他人事のように考えていると、後部座席で気づいた友人が言いました。
「おい。あおられてるぜ。次のパーキングエリア入って停まったほうが良いんじゃね?」
以前テレビで見たそうです。あおり運転にあったら、安全な場所に停車して、鍵を締めて、窓を開けずに警察に相談するのがいいと。
タイミングよく、パーキングエリアの標識が見えました。入ってみることにしました。
サイドミラーを見ると、その車はまだ、しつこく付いてきます。
ウインカーを出し、パーキングエリアの入り口へと車線を変えました。それでも向こうは、パッシングとクラクションを止めることなく、ピッタリと後ろに張り付いてきます。
多少の危険は感じていました。でも、それ以上に、正直、頭にきていました。
空いている駐車スペースに車を止めると、私はテレビで見たという忠告のことなどすっかり忘れて、車を降り、この野郎、という気持ちだけでその車の方へ歩き出していました。
私の怒りにあてられたのか、それとも私を止めようとしたのか――理由はわかりませんが、友人たちも、ほとんど同時にドアを開け、私と一緒にその車へと向かってきました。
「こっちは4人だ。喧嘩になっても楽勝だな」
そう思いながら距離を詰めていくと、向こうも血相を変え、怒鳴り声を上げながら、こちらへズカズカと歩いてきました。
――拍子抜けするほど、普通のオッサンでした。
年齢は50代くらいでしょうか。暗くてはっきりとは見えませんでしたが、白髪交じりの痩せ型で、背もそれほど高くありません。
「あんな小さいフツーのオッサンが、あんなあおり運転を?」
「ひょっとして格闘家か何かで、めちゃくちゃ強いんじゃないか?」
たぶん、友人たちの頭の中にも、私と似たようなことがよぎっていたと思います。でも、ここまで来て、もう後には引けません。
覚悟を決めて、さらに歩みを進めました。オッサンまで、あと数メートル。
そのとき、気づきました。怒鳴っているとばかり思っていたそのオッサンが、一生懸命、私たちの車の方を指差しながら何かを言っているのです。
「はぁ? な・・・何言ってんだオッサン!!」
あまりの剣幕に、4人とも思わず足を止めました。そして、ほぼ同時に、自分たちが乗ってきた車の方を振り返りました。
――その瞬間です。
車の屋根から、後部の窓にかけて。逆さまに、仰向けの状態で。腕をだらんと垂らして。薄いこんにゃくのように、ぴたりと張り付いているものがありました。
小学生くらいの、女の子でした。
片方の口角だけを吊り上げて、ニヤーッと笑っている。真っ青な顔。何重にもねじれて、今にも千切れそうなほど細くなったウエスト。だらしなく伸びきって、左右の長さがまるで違う両腕。製麺機にでもかけられたような、ぺしゃんこの身体。
それが、この世のものでないことは、4人とも一目で分かりました。
「うわーーーーーーっっっ!!!」
叫んだ次の瞬間、私たちはなぜか、さっきまで喧嘩を売ろうとしていたはずのオッサンの方へ、猛ダッシュしていました。腕にしがみつく者、後ろに隠れる者。それでも、恐る恐る、もう一度そちらを見てしまう。
女の子――いえ、あれはもう、そう呼んでいいものかどうか。その表情から笑みが消え、怒りに満ちた恐ろしい顔に変わったかと思うと、耳を塞がずにはいられないほどの金切り声が響きました。
「ギャーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!」
薄い身体がペラっとめくれ上がり、まるで砂が風に舞うようにして、消えてなくなりました。
震え上がる私たちに、オッサンは静かに、優しく言いました。
「良かったよ。止まってくれて・・・あんなのくっ付けて走っていたら、いずれ大変なことになりそうだったからね」
目的を果たしたオッサンは、自分の車へと戻り、そのまま走り去っていきました。あのカッコいい後ろ姿は、今でも鮮明に覚えています。
もちろん、すぐに車に乗る気にはなれませんでした。土産物屋で買った「ミネラル塩」を車全体にふりかけ、見様見真似のお祓いのようなことをしました。
明るくなるまで、そのパーキングエリアで、どんよりとした気持ちのまま過ごしました。
それでも予定は予定です。異常なほどの安全運転で、目的地の海水浴場へ向かいました。海では、常に足の立つ場所で4人まとまって、そーっと泳ぎました。もちろんシャチの空気は、あの後すぐに抜いてしまいました。
帰りも、代わりばんこに後ろの窓を確認しながら、究極の安全運転で帰路につきました。
あれから、もう10年が経ちます。
あの日のことは、4人とも、今でもはっきりと覚えています。
あの女の子が何だったのか。どこから付いてきたのか。何が目的だったのか。そして、あの後、また別の車に、あんなふうに張り付いてはいないだろうか――それは、今もまったく分かりません。
ただ、今になって思うのは。
あのオッサン、いや――あのおじさまは、私たち4人の、命の恩人だったのかもしれない、ということです。


