【サイト統合のお知らせ】「怪談カフェ(kaidan.cafe)」は「【最恐】実話怪談ファイル(afreet.jp)」へ統合・リニューアルいたしました!

七五三|3歳の娘の晴れ着姿【実話怪談・怖い話】

七五三

千葉県 田中奈美さん(30代・主婦)のちょっぴり暖かい体験談

あの日、階段の下で悲鳴をあげたのは、娘ではなく私のほうでした。

結婚して間もない頃、主人の父が亡くなったのをきっかけに、私たちは義母と同居することになりました。

正直、最初は緊張していました。嫁と姑なんて、うまくいかないものだと聞かされていましたから。

でも、そんな心配は要らなかったんです。義母は本当に優しい人で、早くに実の母を亡くしていた私のほうが、いつの間にか義母を本当の母のように慕うようになっていました。台所に並んで立って、他愛のない話をする時間が、私は好きでした。

数年後、私たちは待望の女の子を授かりました。

「沙希」という名前は、義母がつけてくれたものです。字も響きも、私は一目で気に入りました。

義母は、この孫を本当に可愛がりました。目に入れても痛くないというのは、ああいうことを言うんだろうと思うくらいでした。抱っこするたび、頬をすり寄せて、嬉しそうに笑っている義母の顔を、今でもよく覚えています。

その娘が2歳になったばかりの秋のことです。義母は病気で、あっという間に亡くなってしまいました。

亡くなる少し前、義母はこう言っていました。

「来年の七五三には、この着物を着せてやってね。」

そう言って、立派な着物と、かんざしを一式、用意してくれていたんです。晴れ着姿の孫を見ることなく逝ってしまった義母は、さぞかし心残りだったと思います。

それからちょうど1年が経った、10月のある日でした。

その日の午前中、私たちは義母の一周忌の法要を済ませました。午後になっても、片付けや来客への対応でずっとバタバタしていました。

ふと、気づいたんです。

いつもなら、2階からドスン、バタン、とお転婆な娘の足音が響いてくるはずなのに、その日に限って、しんと静まり返っていました。

「今日はやけに大人しく遊んでいるな」

そう思った瞬間、私の中に、小さな引っかかりが生まれました。うちの子に限って、一人で大人しく遊んでいるなんてことは、まずありません。静かなときほど、決まって何かしでかしている。それは、母親としての経験則でした。

しばらく聞き耳を立てていると、トントントン、と階段を下りてくる足音が聞こえてきました。

娘です。

「さて、今日は何をやらかしたのかな」

私は少しだけ悪戯心を出して、娘を驚かせてやろうと思いました。階段の脇に体を隠し、最後の段を下りきるタイミングを見計らいます。

そして、娘の足音が最後の段に届いた瞬間。

「ばあっ!!」

両手を広げて、目の前に飛び出しました。

悲鳴をあげて、腰を抜かしたのは――私のほうでした。

娘は、着物を着ていました。

それも、来月の七五三で着せるはずだった、あの着物です。帯もきちんと締められ、髪にはかんざしが挿してあり、頬にはうっすらと紅までさしてあります。まるで、写真館の前撮りにでも向かうような、完璧な晴れ着姿でした。

娘はまだ3歳です。

Tシャツやズボンですら、前後ろや裏表を間違えて着てしまう年頃です。帯を締めるどころか、着物に袖を通すことさえ、一人でできるはずがありません。

腰を抜かしたまま固まっている私を、娘はきょとんとした顔で見つめていました。小さく首をかしげながら、じっと。

「さ……沙希ちゃん! ど、どうやってお着物、着たの……?」

震える声でそう尋ねると、娘は何でもないことのように、こう答えました。

「おばぁばがしてくれたの。オケチョーもね。」

おばぁば。それは、娘だけが使う、義母への呼び方でした。

ちょうど1ヶ月後には、七五三が控えていました。

もしかしたら義母は、自分の一周忌に合わせて、私に着付けのやり方を教えに来てくれたのかもしれない。そう思うと、涙が止まらなくなりました。

そのあと、家に残っていた主人や親戚たちも、この出来事に騒然となりました。私はというと、涙をこらえながら、着物の紐の順番を一つひとつ確かめるようにして、娘の着物を脱がせていきました。あの日に見た着付けを、忘れないように、忘れないように。

おかげで、翌月の娘の晴れ舞台では、私自身の手で、娘に着物を着せてやることができました。

あの着物は今も、娘にとっても、私にとっても、一生の宝物として大切にしまってあります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!