愛知県 福田由真さん(40代・主婦)と息子さんの不思議な体験談
これは、私の息子の臓器移植にまつわる話です。
先にお断りしておきますが、子供の臓器移植の症例は、今なお決して多くはありません。ですから、あえて具体的な病名などは伏せて、お話しさせていただきます。
息子のマサヒトは、生まれつき、ある臓器に病気を抱えていました。
その上、血液型などの問題で、なかなか臓器のドナーが見つかりません。小学校に上がる頃には、とうとう長期入院となり、もっぱら病院のベッドの上での生活を強いられるようになっていました。
同じ年ごろの子供たちが、当たり前のように外を駆け回っているだろう時間に、うちの子はベッドの上で点滴の管につながれている。そう思うたび、胸の奥がぎゅっと締めつけられました。
日に日に衰弱していく息子を見ながら、私は何もしてやれない自分の不甲斐なさと、何よりも、健康に産んであげられなかったという罪悪感で、心が押しつぶされそうな毎日を送っていました。病室の窓から見える景色だけが季節を教えてくれるような、そんな日々でした。
入院して数ヶ月が経った、ある日のことです。
いつものように病室のドアを開けると、その日はいつもと空気が違いました。見舞いに行くと、いつになくマサヒトが、嬉しそうな表情でお絵描きに興じていたのです。
「マサヒト、今日はご機嫌ね。何か良いことでもあったの?」
そう声をかけると、昨晩の出来事を、興奮気味に話してくれました。
「昨日の夜ね、アキラ君って言う子が遊びにきてね、いっぱいお話ししたんだ」
誰かとお話しするのが、それほど嬉しかったのでしょう。長い入院生活のなかで、あんなに屈託のない笑顔を見たのは、久しぶりのことでした。嬉しそうに話すマサヒトを見て、私は込み上げる涙を、必死にこらえました。
私は毎日、面会可能なギリギリの時間まで、マサヒトのそばにいるようにしています。ですから、よく分かるのです。夜になってから、他の病室の子供が遊びにきておしゃべりに興じるなど、マサヒトの病状や病院のルール上、まずありえないことでした。
健康な子供であれば、それはきっと、イマジナリーフレンドという、子供の想像力の産物なのだろうと、微笑ましく思うところなのかもしれません。
けれど、私は違いました。ついにマサヒトにも「せん妄」と呼ばれる一種の幻覚が始まってしまったのではないか。そう思うと、心が張り裂けそうになりました。マサヒトの体は、それほどまでに限界に近づいているのだろうか――そんな不安が、頭から離れなくなったのです。
翌日も、そのまた翌日も。
私が見舞いに行くたび、マサヒトは真っ先にアキラ君の話をしたがりました。日に日に顔色が悪くなっていくマサヒトは、それでも毎晩遊びにくるアキラ君との夜中のおしゃべりを、嬉々として語り聞かせてくれます。
とても子供の想像とは思えないほど、話の内容は具体的でした。聞けば聞くほど、可哀想でなりません。マサヒトが無邪気に笑えば笑うほど、私の胸の内は、逆に重く沈んでいきます。それでも、苦しくなる一方の胸の内を悟られないよう振る舞うことだけで、私は精一杯だったのです。
息子は嬉しそうに、私は苦しそうに。同じ話をしているはずなのに、チグハグな2人の感情は、平行線をたどるばかりでした。混じり合い、理解し合える日など、もしかしたらこのまま永遠に来ないのではないか――そんなよからぬ考えさえ脳裏をよぎるほど、当時の私は追い詰められていたのかもしれません。
そんな、辛いばかりのある日のことです。
いつものようにアキラ君との夜中のおしゃべりの話を聞かせてくれる中で、マサヒトが、彼からあるものをもらったと言うのです。
マサヒトが言うには、アキラ君はいつになく悲しい表情で、もう遊びに来ることができなくなった、と告げたそうです。
必死に嫌がり、泣きじゃくるマサヒトに、アキラ君は、
「その代わりにこれ、マサヒト君にあげるよ」
そう言って、いつも着ているパジャマのポケットから、白く光る玉を取り出したそうです。そして、それを両手で、そっとマサヒトに差し出してきたのだと言うのです。
マサヒトが言うには、その玉はアキラ君の手のひらの上で眩しく光り輝き、病室全体を、昼間以上に明るく照らしたといいます。カーテンの隙間からも光が漏れそうなほどだった、とマサヒトは、その光景を身振り手振りを交えて話してくれました。
マサヒトはその光の玉を、両の手のひらで大切に受け取りました。胸の前でぎゅっと抱きしめると、温かい光が自分の中に入っていったそうです。そして、しばらくのあいだ、胸の部分から光が溢れ出ていたのだと言います。
そのときのマサヒトの顔を、今でもよく覚えています。悲しいはずなのに、どこか安心しきったような、不思議な表情でした。
その話を聞いた数日後――突然、臓器を提供してくれるドナーが見つかったとの知らせが届きました。
長らく待ち望んでいた知らせのはずなのに、いざ聞いたときは、頭が真っ白になって、うまく声が出ませんでした。
そこから移植までの経緯は、検査や手続きなど、あまりの目まぐるしさに、正直ほとんど覚えていません。ただ、祈るような気持ちで病院の廊下を歩き続けたことだけは、今も体が覚えています。
その後、手術は成功し、マサヒトの命は、辛うじて繋ぎとめられました。
あれほど青白かった顔に、少しずつ赤みが差していく様子を見て、私は何度も、心の中で神様に手を合わせました。あの夜、アキラ君が確かにやってきたのだとしたら、彼にも感謝しなければならない――そんな思いが、頭の片隅にずっと残っていたのを覚えています。
それから半年が過ぎた頃のことです。マサヒトの定期検診の際、どうしても気になった私は、主治医にダメもとで、臓器の提供者についての情報を聞いてみました。個人情報ですから、教えてもらえるとは、あまり期待していませんでした。
先生が教えてくれたのは、提供者の住まいがG県であったということだけです。
そのとき私は、思い切って聞いてみました。
「提供者は、息子と同い年のアキラ君という名前ではないですか?」
その瞬間、先生の顔色が変わりました。ほんの一瞬でしたが、私は見逃しませんでした。
それでも先生は、医師の義務として、情報を漏らすわけにはいかないと思ったのでしょう。
「そのことについては何も申し上げることはできませんが、なぜそれを・・・」
そう言いかけた瞬間、「しまった」という顔をして、先生は、もうそれ以上何も答えてくれなくなりました。診察室には、しばらく気まずい沈黙が流れました。
ただ、私もマサヒトも、そのとき全てを確信したのです。
マサヒトに臓器を提供してくれたのは、入院中にマサヒトと遊んでくれた、あのアキラ君だと。
そしてアキラ君は今、ここで愛おしそうに胸を撫でているマサヒトの中で、一緒にしっかりと生きているのです。
もちろん、先生の言葉だけでは、何ひとつ証明されたわけではありません。それでも、あの夜のアキラ君の話を、こんなにも近くで、こんなにも詳しく聞かされ続けてきた私には、それ以外の答えなど、考えられなくなっていました。
その後、私は八方手を尽くし、アキラ君のことを探し当てました。ご家族にお会いして、直接ご挨拶をと思ったのです。
けれど、残念ながら引っ越しをされたらしく、その後の消息は分からないままです。結局、お会いすることは、叶いませんでした。


