埼玉県 深田歩夢さん(10代・中学生)の不思議な体験談
これは、僕が小学4年生のときに体験した話です。習い事の帰り道で起きた、ちょっと不思議な出来事です。
当時、僕は空手を習っていました。年内の稽古も、あと数日を残すのみ。年末年始の休みが、もうすぐそこまで来ていた頃のことです。稽古が終わると、いつも決まった道を通って家まで帰ります。特に変わったこともない、ごく普通のありふれた毎日でした。
その日は、とにかく寒い日でした。駅から家までの道を、あまりの寒さに身をよじらせながら歩いて帰った記憶があります。吐く息が白く、耳の先がじんじんと痛むような、そんな寒さでした。手をポケットに突っ込んで、早足で歩き、一刻も早く、暖かい家に帰りたい。頭の中は、それだけでいっぱいでした。
駅から家までの道のりは、途中で僕が通っている小学校の、正門の前を通ります。
ちょうど正門の前を過ぎたときでした。
高い塀の向こう側から、子どもたちの声が聞こえてきたのです。
何人かで、楽しそうにはしゃいでいる声でした。
時間は夜9時過ぎ。こんなに寒いのに、誰だろう。歩きながら、そんなことをぼんやり思いました。
耳を澄ませてみると、バシャバシャという水の音も混じっています。
塀の向こう側には、小さな池があります。大小あわせて20匹ほどの鯉と金魚が飼われている、僕にとってもなじみのある池です。
あまりにも楽しそうな声だったので、僕は思わず足を止め、正門の方まで引き返しました。ちらっとでも、様子を覗いてみたかったのです。
けれど、池は鉄の門扉の向こう側、校舎に伸びるスロープを上がったところにあります。外からはちょうど死角になっていて、様子を窺うことができません。門扉の格子越しに、スロープの先をじっと見つめても、何も見えません。
それでも、楽しげにはしゃぐ声と、豪快な水音だけは、ずっと聞こえ続けています。
「そうだ!」
塀伝いに坂を少し登ったところに、普段は使われることのない小さな門扉があったことを思い出しました。錆びついた鉄格子の、小さな門です。普段は誰も気にも留めないような場所ですが、あそこからなら、池の様子が見えるかもしれない。
そう思った僕は、荷物を抱え直して、小走りでそちらへ向かいました。冷たい空気が、頬をひりひりと刺します。息が上がって、白い息がいつもより濃く見えました。
門扉に顔をくっつけるようにして、学校の中を覗き込みます。
冷たい鉄の感触が、頬に触れました。
隙間から、少しだけ池の様子が見えました。
白いタンクトップに、黒っぽい短パンを履いた、坊主頭の男の子が3人。
門扉の隙間からでは、視界がどうしても限られます。顔立ちまではっきりと見分けることはできませんでしたが、体格や動き方からして、僕と同じくらいの年齢だということだけは、なんとなく分かりました。
真冬だというのに、まるで夏の水遊びでもしているかのような、軽装でした。
その3人が、池の中で足踏みをしています。ぴちゃ、ぴちゃ、ではありません。ばしゃん、ばしゃん、と、体重をかけて踏みつけるような水音でした。
――鯉を、踏み潰そうとしていたのです。
その光景を見た瞬間、僕は動けなくなりました。
頭では「やめろ」と叫びたいのに、喉から声が出てきません。声をかけることも、注意することもできず、ただその場で立ち尽くすことしかできませんでした。気づけば、僕は門扉から離れて、家までの道を必死に走っていました。振り返る余裕さえありませんでした。
家に着くなり、僕は母に、見たことをそのまま報告しました。まだ息が切れていて、うまく言葉が出てこなかったのを覚えています。それでも、池のこと、3人の男の子のこと、鯉を踏みつけていたことを、必死に伝えました。
話を聞いた母は、最初、少し驚いた顔をしていました。けれど、話を最後まで聞き終えると、あっさりとした調子でこう言ったのです。
「こんな冬の寒い日に、タンクトップに短パンで池に入って遊ぶ子なんて、いないんじゃない?」
言われてみれば、確かにそうです。僕は、少しだけ我に返りました。
そうだよな、寒いのに、あんな薄着で水に入るはずがない。きっと見間違いだったんだ。狭い門扉の隙間から、ちらっと見えただけのものです。何かの見間違いだったのだろう。そう自分に言い聞かせて、その日はそれで終わりにしようとしました。
夕飯を食べているあいだも、お風呂に入っているあいだも、努めて考えないようにしていました。
でも――その夜は、なかなか寝付けませんでした。
布団に入っても、あの3人の男の子たちの姿が、頭から離れません。坊主頭も、タンクトップも、短パンも、池の水を蹴り上げる足の動きも、まぶたの裏にはっきりと焼きついたままでした。何度も寝返りを打ちながら、僕はいつの間にか眠りに落ちていたようです。
翌日のことです。
いつもと違って、朝から校内がなんとなくざわついていました。
その日は、珍しく体育館で全校朝会が開かれました。うちの学校で、こんな急な朝会が開かれるのは、めったにないことでした。何事だろうと思いながら、みんなでぞろぞろと体育館に並びます。冷たい床の感触が、上履き越しにも伝わってきました。
校長先生が、静かな声でこう告げたのです。
池の鯉と金魚が、全て死んでしまった、と。
体育館がざわめきました。周りの友達も、口々に「マジで?」「なんで?」と言い合っています。あちこちで、驚きと戸惑いの声が上がっていました。
けれど僕だけは、その場に立ち尽くしたまま、声を出せずにいました。周りの騒がしさが、なぜか遠くに聞こえました。
それを聞いた瞬間、僕の中で、何かがはっきりとしました。
やっぱり、あれは見間違いなんかじゃない。
そう確信したのです。
その後、廊下で主事さんと先生が話しているのを、たまたま耳にしました。壁際に立ち止まって、思わず聞き耳を立ててしまったのを覚えています。
前日から、池の水を循環させるポンプが故障していたそうです。でも、鯉というのは本来、酸欠にはかなり強い魚のはず。ポンプがたった1日止まったくらいで、全滅するなんて考えられない――そんな内容の話でした。二人とも、腕を組みながら、困惑した様子で首をひねっていました。原因が分からないと、何度も繰り返しているのが聞こえました。
結局、誰かが池に毒を入れたのではないかという話まで持ち上がり、警察が調べに来る事態にまで発展しました。
制服姿の警官が校内を歩き回る光景を、僕は教室の窓から、ただ黙って見つめていました。普段は見ないその姿に、クラスメイトたちも興味津々な様子でしたが、僕だけは違う気持ちで見ていました。あの日見た3人の男の子の姿を思い浮かべながら、この人たちに話したところで、きっと信じてはもらえないだろうな、と思っていました。
色々と調べた結果、とうとう原因は最後まで分からずじまいでした。
あのとき見た3人の男の子のことを、僕は母以外の誰にも話していません。
あれから何年も経ちましたが、今でも寒い季節になると、ふとあの日のことを思い出します。あの門扉の冷たさ、鯉を踏みつける水音、そして3人の男の子の後ろ姿。どれも、色あせることなく、今も鮮明に残っているのです。
本当の原因を知っているのは――僕だけなんです。


