東京都 石田遼さん(30代・会社員)の恐怖体験談
母から電話があったのは、その年の春でした。 私が生まれ育った村で少子化が進み、通っていた小学校が廃校になることが決まった、という知らせでした。
戦前からの建物を何度も直しながら、戦火もくぐり抜けて残ってきた学校です。時代の流れだと分かってはいても、母校がなくなると聞くと、自分の思い出にぽっかり穴を開けられたような、そんな感覚がありました。
同じ知らせを聞いた同級生たちの間で、校舎が壊される前に、地元で同窓会をやろうという話が持ち上がったのは、その夏のことです。
私のいた学年は、全員で13人しかいませんでした。同窓会といっても、要するに気心の知れた仲間内の飲み会です。それでも、ほとんど全員が「行く」と返事をよこしました。
帰省の前に母に頼んで送ってもらった卒業アルバムを眺めてはニヤニヤし、仕事中にふと当時のことを思い出してひとりニヤけ、気づけば同窓会の日を指折り数えている自分がいました。
私の育った村は、「ど田舎」という言葉がいくつ重なっても足りないような場所です。当然、店なんてありません。当日は、村で一番の旧家に住む同級生の実家、その20畳ほどある大広間を借りて、みんなで持ち寄った郷土料理とつまみと酒で、宴が始まりました。
村に残って家業を継いだ者。街に出て就職した者。夢を追いかけながら、今はアルバイトで食いつないでいる者。
東京で働いているのは私だけだったので、「遼はスゴイ!出世頭だ!」とさんざん持ち上げられ、なんだかくすぐったいような気分になったのを覚えています。
久しぶりの酒は進み、夜も更けていきます。ひとり帰り、またひとり帰り――そろそろお開きかという空気が漂い始めたころ、最後まで残っていたのは、私を入れて男3人、女2人。学生時代いちばんつるんでいた、合わせて5人でした。
時刻は夜中の1時を回っていたと思います。またしても廃校の話になったとき、友人のひとりがふと言いました。
「ねぇ、今から小学校、見に行かない?」
「いいねぇ」 「御意」
私は少し戸惑いました。明日、みんなで一緒に見に行く約束じゃなかったっけ?もうこんな時間だし、明日でいいのに――そう思いはしたものの、水を差すのも気が引けて、渋々ついて行くことにしました。
小学校までは、歩いて30分。街灯なんて一本もなく、月明かりだけが頼りの道です。
通い慣れたはずの通学路のはずなのに、こんなに遠かったか、こんなに細かったか。酔いも手伝って、みんなふらふらとおぼつかない足取りで、藪に囲まれた一本道を進み、山道を抜け、小高い丘に沿った細道を左に折れました。
そこで、視界がふっと開けます。
正面に、懐かしい母校が姿を現しました。
フェンスに囲まれた校庭の向こうに、木造平屋の古い校舎。それを目にした瞬間、胸の奥に、うまく言葉にできない懐かしさがどっと広がりました。一緒に来た友人たちも、みんな同じように足を止めて、それぞれの記憶を、この田舎の夜気とともにゆっくり味わっているようでした。
「懐かしいなぁ・・・」 「うん。全然変わってないね・・・」 「屋根って、あんな感じだったっけ?」
東京の熱帯夜に慣れきった体には、山からの風がひんやりと、どこか心地よく感じられました。
フェンス沿いに右へ回り、正門を目指します。左手に校舎を見ながら歩いていたとき、友人のひとりが、ふと怪訝な声を出しました。
「あれ? 教室、電気点いてない?」
「ホントだ。なんかちょっと明るいね」
目を凝らすと、並んだ2つの教室のうち、右側だけが、小さなランタンでもともしたように、青白くぼんやりと光って見えます。
おかしいのは、そこです。
電気が消えているなら、教室の中は真っ暗のはずです。何も見えるわけがない。なのに、うっすらと中の様子が透けて見える。
「電気は・・・点いてないよ。点いてたら、もっと明るいはずだろ?」 「誰かいるの?」 「もう夜中の2時前だぜ。こんな時間に、誰かいるわけないだろう」
そう言い合いながらも、足だけは校舎へと向かっていきます。近づくにつれて、見えないはずの教室の中身が、少しずつはっきりしてきました。
そして、その瞬間。
5人の足が、ほとんど同時に止まりました。
教室には、机と椅子が整然と並んでいました。その一つひとつに、30人ほどの子供たちが、ひざの上に両手を揃えて、きちんと座っている。全員が、教壇に立つひとりの女性のほうを、じっと見つめていました。
青白く光って見えていたのは、電気などではありません。その子供たちと、おそらく先生であろう女性そのものが、まるでオーラのように、うっすらと発光していたのです。
服装や髪型は、子供たちそれぞれで少しずつ違っていました。でも、それよりもずっと異様だったのは――表情です。
顔だけは、全員、まったく同じでした。マネキンを並べたように。
大きくくぼんだ、真っ黒な目。アゴが外れたみたいに、だらりと開いたまま。そのまま、微動だにせず、教壇のほうを見つめている。
人は本当に怖いとき、体が固まって、声すら出せなくなるのだと、私はあのとき初めて知りました。
残りの4人も、まったく同じでした。誰ひとり声を上げることも、逃げ出すこともしません。ただ息を殺して、その光景を、呆然と見つめ続けるだけでした。
「・・・あれ・・・なに?・・・」
誰が最初に声を出したのか、覚えていません。ただ、その一言をきっかけに、全員が同時に我に返りました。
「キャーーーーーーーッ!!」 「うわーーーーーーーっ!!」
あとは無我夢中でした。お互いを気にかける余裕もなく、山道を駆け下り、駆け上り、息も絶え絶えになりながら、大広間へと転がり込みました。
しばらくの間、誰も口を開きませんでした。それぞれが、たった今見た”あれ”を、自分の頭の中で必死に整理しているようでした。
30分ほど経ったころでしょうか。いえ、もっと長かったかもしれませんし、案外あっという間だったのかもしれません。
友人のひとりが、重い口を開きました。
「・・・さっきの・・・見たよな・・・」 「・・・うん・・・見た・・・」
重苦しい沈黙が、また続きます。
「・・・子供・・・あいつら・・・何だ?」 「・・・教壇にいたの・・・あれ・・・あいつらの先生か?」 「・・・みんな先生の方・・・パカーッと口開けてじーっと見てたよな・・・」
すると、それを聞いたひとりが、怪訝そうな表情を浮かべました。
「え? 先生の方? 違う違う。先生も子供も、じーっと俺たちの方を見てたよ!!」
暗かったから、彼にだけそう見えたのだろう――私は、そう思うことにしました。多少引っかかるものはありましたが、誰もそれ以上は突っ込みませんでした。
翌日、出席者全員で改めて小学校を見に行く予定になっていましたが、私たち5人だけは、二日酔いを理由に断りました。申し訳ないとは思いつつ、あの校舎にもう一度足を向ける気には、どうしてもなれませんでした。
東京に戻って、1ヶ月ほど経ったころです。あの夜のメンバーのひとりから、連絡がありました。
M君が、半月ほど前に自殺未遂を起こして入院した、というのです。
M君というのは、あの夜、ただひとり 「先生も子供も、じーっと俺たちの方を見てたよ!!」 と言った、あの彼でした。
彼女の話では、M君はあの夜のあと、精神的に不安定な状態が続き、薬を大量に服用したのだといいます。幸い、家族がすぐに見つけて事なきを得たそうです。
ただ、ひとつだけ、どうしても引っかかる話がありました。
救急車に運ばれてから入院している間じゅう、M君はずっと、うわ言のようにこう繰り返していたというのです。
「センセイゴメンナサイ・・・モウシマセン・・・ユルシテ・・・ミナサンゴメンナサイ・・・モウシマセン・・・イッショニカエリマショウ・・・」
何度も、何度も。
それが、あの夜の出来事と無関係だとは、私にはどうしても思えません。おそらく、あの場にいた他の誰もが、同じことを感じているはずです。
M君は、2年経った今も、精神科の病院に入院したままだと聞いています。


